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かちかち山・花咲じじい・桃太郎・舌切雀・さるかに合戦が、日本5大昔話と言われ日本人ならだれでもがその荒筋を知っている。 それらの話はどれもが、因果応報や勧善懲悪を題材としている。 中でもずる賢い猿が蟹を騙して殺害し殺された蟹の子供達に仕返しされるという「さるかに合戦」は、殺された蟹の子が物や異種の動物と徒党を組んで親の仇を取る話で、まるで元禄15年12月14日に起きた赤穂浪士の仇討と同工異曲の内容である。 この物語は、「さるとかに」や「かにむかし」などの別名で呼ばれる事もある。 子蟹の仇打ちに加担するものは栗・臼・蜂・牛糞であるが、囲炉裏の炭火に炙られて爆発する栗に代わって卵とされたり足を滑らす牛糞が昆布であったりと登場するものが異なる話もある。 動物の蟹と蜂は意思を持って挟んだり刺したりできるが、生命を持たない栗・臼・牛糞が登場して仇討に加担する設定が良く分からない。 この話の仇討成就後の続きを芥川龍之介は、短編「猿蟹合戦」の名で大正12年に発表している。龍之介は昭和2年に35歳で自死したが、その4年前の作品である。 昔は社会で認められた勧善懲悪だが、大正デモクラシーの時代に入るとこの考え方が社会規範に受け入れられないことをテーマにして書かれたものである。 仇討を主謀した子蟹は死刑に、共謀した臼・蜂・卵・栗・牛の糞は無期懲役に処せられるという内容になっている。 さらにその後に続いて子供の蟹のうち「…三男の蟹は愚物だったから、蟹よりほかのものになれなかった。それが横這に歩いていると、握り飯が一つ落ちていた。握り飯は彼の好物だった。彼は大きい鋏の先にこの獲物を拾い上げた。すると高い柿の木の梢に虱を取っていた猿が一匹、――その先は話す必要はあるまい。」とにかく猿と戦ったが最後、蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ。」で結んでいる。 猿は雑食で主に果実や木の実・木の芽や花・キノコなどの植物質のものを食べるが、昆虫や鳥の卵・カエルやトカゲ・魚・樹皮や海藻・貝類も食べることが知られている。 さるかに合戦の昔話はさておき、猿が柿を好物であることに変わりは無い。 秋が深くなると徐々に葉を落とした柿の枝に、赤く色づいた柿の実が一際目を引くようになる。 ちょうど今頃になると猿が、それまで見向きもしなかった渋柿を狙うようになる。 熟したり渋抜きをしない限り渋くて人には絶対に食べることができない渋柿なのだが、猿は全く動じる風も無く堅いままの渋柿を収奪する。 10月も終わりの早朝7時前、山荘一帯が騒々しくなった。外へ出てみると、我が家の菜園を横切る数匹の猿の姿があった。早朝から、猿の一族郎党50匹程のモーニングである。 道路を隔てたソフィア農園では、隅に植えられている十本ほどの「甲州百匁柿」の木に猿が鈴なりになって狂喜乱舞しながら食事中であった。 食い散らかして投げ捨てても誰からも復讐を受けることは無く、まさしく猿の天国である。 猿の略奪に気づいてから追い払うまでのわずか十数分の間に、かなりの実を食べ落として行った。 石を投げて追い払うと未練気に後を振り返りながらのしぶしぶ退散だったので、収穫を急がない限り早晩全て猿に食べ尽くされることになるのだろう。 スーパーや道の駅では、甲州百匁柿が一個百円程度と結構な値段で売られている。 猿の餌に提供したのでは、何とも勿体無い話だと思うのだが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年11月02日 17時09分47秒
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