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五節句の一つに、端午の節句がある。その始まりは奈良時代からとされ、端午とは月の始めの午の日のことであって、必ずしも5月に限られた行事ではなかった。 午の読みが五に通じることから毎月5日を意味するようになり、さらに5が重なる5月5日が端午の節句となったものである。 もともとは日本では田植えをする早乙女と呼ばれる若い娘達が、小屋に籠って穢れを祓う「五月忌み」という風習があった。 これに中国から伝来した端午が結びつき、「端午の節句」になったといわれている。 端午の節句には、かしわ餅が付きものである。 上新粉と片栗粉を混ぜてつくった「しんこ餅」を、かしわの葉を二つ折りにして包み蒸して作る。 このようなかしわ餅は、寛永年間(1624~1644)に作られるようになったと伝わっている。 かしわ餅に使うかしわの葉は新芽が芽吹いてから古い葉を落とすため、「子供が産まれるまで親は死なない」と縁起を担いで、かしわ餅を食べて「子孫繁栄」を願うものである。 また枯葉が冬になっても落葉しないのはこの木に葉守りの神がいるためと考えて神聖視し、祭祀にもカシワの葉を用いまた縁起樹として庭先に植えられた。 (…柏木いとをかし。葉守の神のいますらんもかしこし。兵衛の督・佐・尉などいふ(柏木は衛府の官の異名)もをかし。)枕草子第40段「花の木ならぬは」 節句行事は中国伝来の風習であるが端午の節句に食べるかしわ餅は、日本で生まれた食べ物が節句の風習と結びついたものである。 初めの頃は塩餡の餅であったが、江戸後期になると小豆餡や味噌餡が主とになっていった。 この頃類書「守貞漫稿」と言われる江戸・京都・大阪の風俗を解説した百科事典が、喜田川守貞によって編まれた。 この守貞漫稿には5月5日の項には「男児生まれて初の端午には粽を配り、二年目よりは柏餅を贈る・・・江戸にては初年より柏餅を贈る」「赤豆餡には柏葉表を出し、味噌には裏葉を用いる。」とある。 かしわは柏・槲・檞と書き、九州以北の山野に自生する。落葉樹だが秋に落葉しないで枯れて茶色になった葉は、新芽が出るまで残る枝に残る。そのため、「子孫繁栄」の縁起樹とされ庭園にも植えられる。 カシワの名前は、炊(かしい)葉を語源とする説が有力である。 昔はフキやハス・ホウノキの葉と同じように、食器として使われていたものである。「大御酒のかしわの葉を握とらしめて 古事記 中訓」 「…もてきぬ女かたより そのみるをたかつきにもりて かしはをおほひて いたしたるかしはにかけり…」(その家の女の子たちが浜辺に出て、浮ミルが波に打ち寄せられていたのを拾って、家の中に持ってきた。この家の大奥様から、そのミルを高坏に盛って、柏の葉でおおって差し出してきたが、柏にこう書いてあった。) 植木屋の説明ではカミキリムシや葉を食害するケムシ類が唯一の害虫としているが、実はナラハウラマルタマフシが寄生すると美観を損ね退治するはかなり難しく厄介である。 マルタマフシは葉裏に、極小さな円形の虫瘤を多数付ける。これを虫癭といい虫が植物に産卵や寄生した際に出す泌物によって、植物組織が異常発育してできる。 ブナ科同属の葉裏の主脈および支脈には、しばしば光沢のある虫癭ができる。初めは葉に付いている部分が平らで半球形をしており、大きくなると球形に近くなる。各葉裏にびっしりと付いた虫癭は、誠に見苦しい。 虫癭は6月上旬から出現し、成熟したものから地上に落下する。地上に落下した虫癭の中の幼虫は、幼虫室の内壁を餌として成長して終齢に達する。 成虫は晩秋から初冬にかけて羽化し、越冬芽に産卵する。卵で越冬し、翌春孵化というサイクルを繰り返す。 越冬芽に産卵することが分かれば、対策は簡単である。黄葉して葉が垂れ下がる頃に、今年伸びた枝を全て切り落として焼却することで生活環を断ちきることが可能となる。 そのため毎年この時期に新梢を切り落として、マルタマフシの防除に努めている。 今年も5時間かけて、剪定と切り落とした枝葉の焼却を終えた。 花言葉 自由、愛は永遠に、愛想のよさ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年12月05日 10時56分29秒
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