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カテゴリ:小説・海外
現代カナダ文学を代表する作家アトウッドの最新作を読みましたので、その感想です。
ギラー賞受賞作。 またの名をグレイス(下) 下巻は映像がなかったのですが、上巻と同じ写真で赤。 これだけの違いで受取るイメージが違うのですよ。 あらすじはamazonからのコピペ。 現代カナダ文学を代表する作家アトウッドの最高傑作(ギラー賞受賞)。 一八四三年にカナダで実際に起きた殺人事件に題材を求め、入念な資料調査をもとに仕上げられた作品。 若くて類まれな美貌の主人公グレイスは女悪魔・妖婦だったのか、それとも汚名を着せられた時代の犠牲者だったのか。 十六歳で事件に関わり約三〇年間服役した、同国犯罪史上最も悪名高いと言われている女性犯グレイス・マークスの物語である。 記憶の信頼性とアイデンティティの揺らぎ、人格の分裂、夢、性と暴力をはじめとする人間存在の根源に関わるテーマを、多彩な小説手法を駆使しながら、大きな物語に描き上げた力作。 ミステリーではないのですが、一応・・・。 ネタバレしてます、未読の方はお気をつけ下さい。 確実性を感じ取れる部分はそのままに、それ以外の部分は想像で書いて良しと作者がして、出来上がった実際の殺人事件に係わった一人の女性の物語。 1984年の8月、アッパー・カナダのリッチモンド・ヒルで、富裕な独身地主のトマス・キニアと、その女中頭のナンシー・モンゴメリーが殺される。 同じ家の女中のグレイス・マークスと、使用人ジェイムス・マクダ-モットが逃亡先のアメリカで捕まる。 裁判はキニア殺人事件のみ行われ、ナンシー殺害に関しては審理不要となる。 (両被告人がキニアの件で死刑を宣告されたから) マクダ-モットはすぐに大観衆の前で絞首刑に処される。 しかしグレイスに関しては当初から意見が分かれる。 グレイスは殺人事件への関与を否定、また一部の記憶の喪失を訴える。 一方、マクダ-モットは、グレイスに唆されての犯行だと証言。 ナンシーはキニアの情婦で、女中らしからぬ待遇を受けていた。 グレイスはそれに嫉妬していたのか?。 マクダーモットとグレイスは恋人関係にあったのか?。 ・・・と言うわけで、キニア殺害に関してはマクダ-モットの単独犯行と分ってるので、ナンシー殺害にグレイスは実際に手を出したのか?。 殺害はグレイスが企てたものなのか?。 それとも汚名を着せられただけなのか?。 これを謎としたミステリーのような犯罪小説としても面白い。 当時のカナダの状況、人々の考え方などが細かく書いてあるので、楽しく読めます。 しかし何と言っても作者はアトウッド。 こちらを読んで頂ければ分りますが、やはりフェミニズムの視点から、読後に色々考えてしまう。 精神科医のサイモン・ジョーダンが、グレイスから話を聞くと言う構成になっています。 各章のタイトルは、その章の内容を示唆したキルトのパターン名で、最初のページにその図案が描かれています。 そして事件に関係する書籍、文章、あるいは詩や手紙などが引用されています。 グレイスの話の始まりはアイルランドでの子供時代から。 子沢山の家庭で、父は飲んだくれ。 困った一家はカナダに渡る事にする。 しかしその船旅の途中で、母が病死。 死体は海に落とされる。 カナダについたグレイスは、パーキンソン市会議員邸で働き始める。 そこでメアリー・ホイットニーと知り合う。 後にグレイスが逃亡先の米国のホテルで使った偽名は彼女からきている。 グレイスにとってメアリーは大切な友人であったが、メアリーはパーキンソン家の息子の子供を宿し(はっきりと彼と書かれてはいませんが)、堕胎手術によって死んでしまう。 幾つかの勤め先を変えた後、グレイスはナンシーに誘われて、問題のキニア邸に行く。 グレイスはキルトを作りながら語る。 語り口は静かで、聡明さを感じる。 この様子を見て、グレイスが女殺人者とは思えないサイモン。 しかし余りにも芝居に長けているのか?。 ところで精神科医のサイモンですが、裕福な家の生まれではありますが、倒産。 今はお金に余裕がある状態ではない。 そしてグレイスのいる監獄の看守長の清楚な娘に惹かれながらも、下宿先の夫人と不倫の関係になる。 これらを読んでいて思うのは、この時代、女性と言うのは「清楚・貞淑」であるか、「売春婦扱いの妖婦」かの両極端で捉えられていた感がある。 少なくともアトウッドはそう書いていると感じられる。 メアリーの相手は、「簡単に身体をゆるすような女なんだから、子供が自分の子かどうか分らない」と言う。 逃亡中、マクダ-モットは何度もグレイスに迫るが、断られると、その行為が「貞淑」であって良しと思う。 サイモンの相手は貞淑な妻であったが、関係をもった後、印象はどんどん堕ちていく。 ナンシーは前の働き先で主人の子を宿し、捨てられた過去を持つ。 キニアはそれを承知で彼女を雇い、彼女を情婦としている。 キニア邸はど田舎で、遊ぶにしてもなかなか大変。 自宅に綺麗で、抱くのに何の問題もない女中がいればラッキーと、こう言うことですか?とついつい思ってしまう。 だからキニアは決してナンシーと結婚しようとは思っていない。 たぶんそれを知ってるから、ナンシーはキニアの子供を宿して悩み、自分にとって変わる存在になるかも知れないグレイスに辛く当る。 グレイスが事件後につけられた評判はまさに、当時の男たちが女性に対して持つ真逆の評価である。 作者はだからグレイスに、その相反した性格を多重人格を与えて、異常さを提示する。 しかし作者は決して、この事件の事実がそうであるとは言っていない。 他人格を導き出した催眠術師が、いかがわしい人物で、これを素直に信じるようには描いていない。 決して分らない謎もある。 作者の描きたかったのは、事件の謎ではなく、当時における女性の在り方ではないかと言う気がしてくる。 グレイスは三十年の服役の後に赦免となる。 彼女はニューヨークに移住し、キニア邸て知り合った年下の男と結婚する。 そして自分の農場の家で、自分の為のキルトを縫うグレイス。 囚人であった時に、出来ればと思っていたこと。 家も自分の家。 過去にメアリーが、いつが自分の家を持ったならと夢を語っていた、そんな家をグレイスは持っている。 恐らくナンシーもまたこんな家を持ちたかったに違いないと思う。 「木」のパターンの三角形のうち、一つはメアリーのペチコートの白い布、一つはナンシーのドレスの布、そしてもう一つに自分の囚人の時の寝巻きの布を使う。 それを刺繍して、絵柄の一部として溶け込ませる。 「そうすることで私達はみんな一緒にいられるのです。」 タイトルの「またの名は」は、グレイスの二重人格を表しているとともに、グレイスは、この時代の女たちの一人にすぎない、どこかに、何かの拍子で違う“グレイス”がいたかも知れない・・・そんな意味も込められている気がしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年07月20日 19時19分43秒
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