バンドやめようぜ (そしてやめたぜ、というお話)
ダークで激しい音楽をやってみたくなる時期がある、いうのは割とありがちな衝動というか願望なのかもしれない。2015年7月号のBurrn誌の「LAメタルの真実」で元Faster Pussycatのギタリストであるブレント・マスカットが「Voのテイミーは、今インダストリアル・ゴシックな音にハマっている」てなことを語っていたり、DioもトレイシーGをギタリストに迎えていた時は「ヘヴィなサウンドを出さないと世間に受け入れられない」てな感じだったし。ただ、それがバンドにうまくフィットすればなんら問題はないし、やる必然性が感じられるような選曲ができていれば何ら問題はないものの、それをクリアできなければハードロックをベースとしつつも所謂洋楽比率高めのTop40バンドという立ち位置で活動していた以上、結論は誰でもわかりそうなものですが、当時のワタシにはそれが分かっていなかった。(その反動か、今はキラキラしたWork Of Artばかり聴いておりますが)今にして思えば、板長とToshiさまは80年代Top40的音楽路線を強化したかったのかも。殿下はVan HalenやFooFightersのようなキャッチーなHRをやりたかったのかも。SUNOちゃんは自分のやりたいことは他のバンドで発散していたので、ライブをガンガンやりたかったのかも。ワタシはMachine Head、Faith No More、 Rage Against The Machineあたりをやって、Popな曲との対比で盛り上げたかった(ライブでやったら失敗したかも)あと、各パートの音作りは原則自由、ただし気は使うようにという不文律が徐々に機能しなくなっていったことも大きいかと。今振り返ってみると思い当たるフシがいくつもありまして…ワタシはYamahaのBB-STDのトラスロッドを回しきってしまった後、BacchusのPBとJBを入手したものの、殿下としてはBB-STDのほうが好みだったという話を後から聞いたり、逆にワタシとしては殿下がツーハムバッカーのHR系ギターからストラトに持ち替えたのが不満だったりと、細かな不満をお互いに感じていたのも事実。他のパートについては、未だに語り合ったことがないので割愛します。一方的にワタシの考えや感想だけを書くというのはフェアじゃないので。深い理由はないけれど、頑なにピックで弾くことにこだわり、指弾きを拒否したりしていたし・・・今は指弾きもやるようになりました。このことを殿下に話したら大層驚いていました。「え~! 指でも弾くようになったの!!」だってバンドの練習も何となく変わってきて、結成当時は午前中練習→昼から飲み屋でああでもない、こうでもないと音楽やバンドについて語り合っていたのが、機材の増加のため車で来ざるを得なくなったメンバーに配慮して普通に飯食って、という感じになって語り合う時間も内容も少なくなっていったり。そんな細かな積み重ねとその3で述べた大きな齟齬。やる曲に関しては話し合いの余地が大いに残ってたものの、ライブに対する考え方について、ワタシとワタシ以外のメンバーの考えの隔たりがどうやっても埋められないと悟り、バンド脱退の意思をメンバーに伝えました。その後、誰か後任を入れて活動するかと思っていたのですが、結局新たなメンバーが加入することなくバンドは自然解散しました。多分、ワタシに対する不満以外にもお互いに色々な不満がたまっていて、それがメンバー募集をする気を削いでいたとか。音楽的に湧き上がる何かが実は枯渇していたとか。今となっては連絡が取れないメンバーもいるので確かめようがないのですが。