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拝大五郎

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Jun 8, 2009
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カテゴリ:バイク
今日のツイてる
1.バイクブログ更新
2.面白そうな書籍を2冊購入
3.お客様からお電話を頂戴した
4.結局通勤時には雨に降られなかった
5.お菓子が安く買えた(笑)

最近、関東のJRがしきりに車内広告を出しているので、
知っている方も増えているようですが、
世間的にはあまり知られていない千葉が生んだ至高の芸術家、波の伊八。
彼の作品は安房・夷隅地方を中心に、寺院・神社に多く残されています。

「波の伊八」って誰?

武志伊八郎信由(たけいしいはちろうのぶよし)(1751-1824)
宮大工、彫り師の間では、「関東に行ったら波を彫るな」と、
伊八の名は全国的に知れわたっていた程の名工です。

葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は、
後世、それを見たゴッホが画家仲間宛ての手紙の中で賞賛する、
発想を得たドビュッシーが交響詩『海』を作曲するなど、
西欧の芸術家に多大な影響を与えることとなったことで有名ですが、
そのすばらしさは、この絵が世に出た後、
欧の画家たちは海の絵を一切描かなくなったといわれる程です。

そして、その名作「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」のネタもとが
この「波の伊八」の欄間彫刻で、
北斎が1806年に行元寺や飯縄寺を訪れた記録が残っています。

行った順番は「飯縄寺」「行元寺」「藻原寺」の順ですが、
こと伊八の作品を見るのでしたら、その逆の方が盛り上がります。
ですから、今回は「藻原寺」「行元寺」「飯縄寺」の順にご紹介します。

まずは茂原市役所のすぐ近く、山門が特徴的な「藻原寺」

藻原寺

異様な山門とは異なり、境内に入ると非常に落ち着いた本堂です。
この本堂の向拝虹梁や、破風の彫刻が二代目「波の伊八」信常の作です。

残念なことに盗難防止のために網がかけてあり、
さらに本堂が大きく高い位置あるため、見づらいのが残念です。

藻原寺二代伊八彫刻

竜の上にはしっかりと波が彫られていて、波の伊八の本領発揮と言うところ。
その重層感は初代にも劣るものではありません。


続いて「行元寺」です。JRがしきりに宣伝しているのがここ。
実際、山門の修復はJRが資金を出しているようです。
そのせいか、山の中の不便なお寺だというのに、妙に「生臭い」。

参道に「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の元ネタになった
彫刻の写真があったのでパチリ。

行元寺伊八写真

まさしく北斎の絵と相似でしょう。最も、構図的には北斎の方が優れています。
後で現物を拝見した時にその理由がわかりましたが、これ、欄間の裏側なんです。
しかも端っこ。欄間彫刻ですからかなりの横長なんですね。
それを一部だけ切り取れば、それは見劣りしますよね。

そして、この写真の横には高松又八の彫刻の写真が。
行元寺又八写真

この高松又八というお方、正確には高松又八郎邦教といいます。
徳川の御用宮大工で彫刻界最高の地位にありました。
江戸城改修工事に、彫り物棟梁として活躍した他、
日光東照宮の総頭領として建築を指揮し、
わずか1年半で完成させたのは彼の功績だと言われています。

また、上野寛永寺に徳川4代家綱・5代綱吉の廟、
及び芝増上寺に6代家宣の霊廟に彫り物を遺していたそうですが、
残念がなら、第二次世界大戦で戦災によって焼失。
現存する高松又八の作品はこの「行元寺」の物以外確認されていません。

そして本堂の向拝虹梁や、破風、中に入って欄間がこの高松又八の作です。
つまりこのお寺では、高松又八がメインなんですね。

拝観料300円を払うとガイド(法被を着た方)が解説してくれます。
今は本堂の彫り物は修復されており、その修復時の話等、
興味深いお話が伺えます(興味のない人には長い!!)。

本堂での長いお話が済んだ後、客殿に移動。
いよいよ初代「波の伊八」の欄間を拝見します。

意外にもメインは松竹梅。その横に朝の海と鶴があり、
奥に例の波の欄間があります。つまりこの3枚の欄間の中でも
件の波は一番格下なんですねぇ。

にも関わらず、この波の欄間をメインに
照明をつけたり消したりして説明してくれます。

ちなみにこの欄間、伊八と弟子の二人で彫ったとのことで、
伊八の年齢(この時58歳)を考えると、
件の波は弟子の作の可能性が高いですね。

ちなみに北斎の兄弟弟子である五楽院等随の「土岐の鷹」の杉戸絵が
最初の客間に入っていました(劣化が酷いのが残念)。
北斎はこの杉戸絵を見に来たと言う話ですが、どうでしょう?

しかし、このお寺、境内にはくどい量の撮影禁止の張り紙が貼ってあり、
とても撮影できるような雰囲気ではありませんした。

なので、屋外で撮影できる高松又八の彫刻をパチリ。
行元寺又八彫刻


さて、最後が飯縄寺(いづなでら)。昨日ご紹介した仁王門でも分るようにいい雰囲気です。

飯縄寺全景

境内に入るとこの美しい景観にみとれてしまいました。
京都の寺なんかと違って手あかの付いていない、
古刹の雰囲気がすばらしいです。

左が庫裡、正面木に隠れて屋根が見えるのが本堂、
右側に手水場と鐘楼があり、まずは庫裡で拝観料300円を支払います。

なんと!ご住職自ら案内してくださいました。
その際、建物中での撮影だけは遠慮して欲しい旨、口頭で伝えられました。
非常に申し訳なさそうにおっしゃるのでかえって恐縮してしまいます。

飯縄寺本堂

この本堂の彫り全てが「波の伊八」の作で、10年かかったそうです。

飯縄寺伊八彫刻

迫力の彫りです。この時、伊八45歳というから、
もっとも油の乗った時期でしょうね。

ご紹介できないのが残念ですが、中の烏天狗と牛若丸なんて、
行元寺の彫刻の比ではありません。迫力が違います。
京都でも奈良でもここ迄のものは見た事がないです。

波の表現も烏天狗と牛若丸の左右にある竜の欄間彫刻の方が素晴らしいですし、
明らかに波頭の砕け方など、北斎もこっちを参考にしていると思われます。

さらに天井には、葛飾北斎の師といわれている三代目堤等琳の手により
勇壮な龍が墨を使った点描画法で描かれています。

北斎が見に来たとしたら、まず、こっちでしょう。
行元寺はついてでですよ、絶対に。

ちなみに本堂入り口には大天狗と烏天狗の大きな面が掲げられいます。
烏天狗と大天狗の面

本尊が飯縄大権現(権現様だったら本尊じゃなくて祭神?)ですし、
今は珍しくなってしまった「神仏習合」のお寺(?)です。

そのあたりをご住職に伺うと、明治の廃仏毀釈以前には本堂前に
鳥居があったそうですし、現在も結界として柵が残っています。

つまりこの本堂はお寺の境内にあるものの、神社ということ?
じゃあ、お参りの作法は? ご住職に伺ってみました。

柏手を打つのが正しいのだそうです!! お寺なのに!!

という訳で、ちゃんと、二礼二拍手一礼で参拝してきました。

ちなみに鐘楼の彫刻も素晴らしいですし、手水場も文化財ですよ。

とにかく、ここはおすすめです。
JRの広告で行元寺に行こうと思われたなら、
ちょっと足を伸ばしてこちらにもおこしください。
てか、来ないと損するゾ。マジで。

最後まで、読んでくださったあなたに、全ての良き事が雪崩のごとく起きます。





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Last updated  Jun 9, 2009 12:43:58 AM
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