「見えない地獄」を可視化せよ
福島県には、二つの地獄がある。「見える地獄」と「見えない地獄」だ。「見える地獄」とは津波被害。あるはずの大切な光景が360度すべて瓦礫と化した風景は、壮絶そのものだ。私は、相馬の海辺に立ったあの日の衝撃を絶対に忘れない。「見えない地獄」、それは原発事故被害。写真は、一般人が撮影できるギリギリの線、原発から20キロの避難指示区域の境界線であり「見えない地獄」の唯一の記録写真(田岡直博弁護士撮影)。亀裂も入っていない、直前まで人も車も行き交う道が突然の検問所で寸断される。これ以上、足を踏み入れることは許されない。この中に行方不明の家族が眠っていても、我が子同然に育ててきた家畜がいても、地震にも津波にも負けなかった自宅があっても。「見えない地獄」、より正確に言い直せば、「見ることすらかなわない地獄」がここにある。「見えない地獄」は、避難指示区域に限定されない。見えない放射能が、福島県全域に塗炭の苦しみを与え続けている。「見える地獄」の悲惨さは、写真や映像が、雄弁に伝えてくれる。百聞は一見に如かず、とはこういう風景をいうのだと思う。しかし、「見えない地獄」は、文字通り「見られない」のだから、目で見て被害を実感することはできない。そうなると、「見えない地獄」を伝える手段は、「言葉」しかない。3.11前の日常生活が、原発事故でどのように変化し、現在、何に苦しんでいるか。突き詰めて単純化すればこのことを「言葉」で表現することで、初めて、「見えない地獄」は「見える被害」に変わることができる。「見える被害」に変われば、どんな救済策が必要なのか、を検討するスタートラインに立つことができる。逆にいえば、被害を言葉で置き換えないままでは、「見えない地獄」は「見られない」ままだ。私たち法律家の使命は、「見えない地獄」を「見える被害」に置き換えること。それは、とてもつらく厳しい作業だけれど、弁護士の普段行っている日常業務の延長であり、決して不可能なことではない。法律家は、言葉の力、理屈の力を信じる職業である。「見えない地獄」に対し、「言葉」を武器に果敢に立ち向かっていくこと、この使命を自覚したい。