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弁護士YA日記

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日出町法律事務所
2019年6月より1年間、日本弁護士連合会客員研究員としてイリノイ大学アーバナシャンペーン校に留学後、弁護士業務を再開しました。
弁護士葦名ゆき(あしな・ゆき)
弁護士葦名ゆき(あしな・ゆき)のブログです。
東京、福島、静岡、アメリカと移動しつつ、人を幸せにする法律家を目指しています。
東日本大震災で被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。
2024.04.23
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カテゴリ:弁護士業務
​今日は、4月23日。何の日でしょう?そう、相馬ひまわり基金法律事務所のお誕生日です。
私にとっては、大切な記念日のひとつであることは、​以前も書きました​が、相馬ひまわり基金法律事務所は、昨年9月に閉所されたため、もう、これ以上、年を取ることはありません。
でも、4月23日が私にとって、ずっと大切な日であり続けることは変わりません。

今年2月、ご縁があり、法務研究財団のニューズレター・JLF NEWSの「会員の声」欄に、下記エッセイを寄稿しました。
この文章は、私がこれまで散々日弁連のひまわり基金の宣伝のために言ったり書いたりしてきたものとは自分の中では違っていて(結果的に似たようなことは書いていても)、有望な後輩をひまわりにいざなうとか、相馬ひまわりの地域での実績を分かってもらうとかは、もうどうでも良い、ただ、葦名ゆき弁護士が、どれほど相馬ひまわりを心から大切に思ってきたかを私の心から自然に溢れ出る言葉で表現しきれればもうそれで良い、私以上に相馬ひまわりを愛した人はいないんだから、私しか書けないんだから、と、他の誰のためでもなく、自分のためだけに、という気持ちで書いたものです。

もう年を取れない相馬ひまわりの誕生日に、私が私のために書いた文章を、ご紹介させてください。


           「相馬ひまわりが教えてくれたこと」
                          弁護士(静岡県弁護士会)葦名 ゆき




 2023年9月30日。2005年4月23日に福島県内初の公設事務所として開設された相馬ひまわり基金法律事務所(以下「相馬ひまわり」という)が、約18年半の歴史に幕を閉じ、ひっそりと閉所した。
 私が相馬ひまわりの初代所長を務めていたためだろう、閉所に伴う取材を受けた*1。担当記者さんの聞き上手もあり、懐かしく、相馬ひまわり時代の思い出を語っていたところ、我知らず「弁護士として生きる上で大切なことは、全部、相馬ひまわりが教えてくれました」という言葉がこぼれ、寂寥感が漂っていた心に、パッと温かな光が灯った。事務所が物理的になくなっても、相馬ひまわりが私に教えてくれたことは決して消えない、と私自身が気付いた瞬間だった。折角なので、この機会に、「相馬ひまわりが教えてくれたこと」を整理してみたい。

 真っ先に挙げたい学びは、一人ひとりの相談者、一つひとつの事件にきちんと真摯に向き合うことがすべてのキャリアの源泉になる、ということである。
 相馬ひまわりは、過疎地型公設事務所であったため、基本的には、どんな仕事も1人でやらなければならなかった。わずか1年半の実務経験の弁護士が、いきなり管轄裁判所の管内人口約12万人の地域に赴任したのである。孤独感も凄まじかったが、それ以前に、果たして私の能力で太刀打ちできるプロジェクトなのか、という根本的な不安で足が震えた。でも、逃げる場所はどこにもない。私のスペックを倍増させる魔法もない。持っているすべてをフル活用して全力対応するしかなかったが、結果的には大小様々な失敗を沢山してしまい、弁護士に向いていないと真剣に悩んだことが何度もあった。でも、失敗から逃げずに正面から向き合うことでしか、人は成長できない。大学・大学院通じての指導教官、後藤昭先生の「失敗をしない名医はいません。失敗から学ぶ人だけが名医になれるのでしょう」というお言葉は、変わらぬ金言である。

 次に挙げたい学びは、地域を俯瞰する視点の普遍的な重要性である。
 相馬ひまわりで、大量のバラエティに富んだ事件をこなさざるを得なかったことで、生じている現象だけではなく、その現象をもたらしている源流が何かを考える機会が必然的に多くなった。適用する法制度自体の歪み(当時のグレーゾーン金利が良い例である)、男尊女卑の社会構造、原発産業に頼らざるを得ない過疎地域の貧困等、当然すぐには解決できないことばかりだが、源流が何かをまずは知り、関心を持たないことには社会は永遠に変わらない。また、このような根本的な問題に一人で対処できる筈はなく、行政や他士業といった他者と連携を取って物事に立ち向かうことが必須であると気付けたことも大きい。
 
 なお、相馬ひまわり内外で出逢った沢山の人々に引っ張られるようにして、上から俯瞰するだけではなく、地域に分け入り、コミュニティの豊かさ、人と人との繋がりの温かさ、強さに触れたことも、かけがえのない体験だった。私は、相馬ひまわり赴任以降、幸せとは突き詰めれば、人と人との絆である、とゆるぎなく信じるようになった。だからこそ、その絆を破壊し尽くした原発事故に対して法律家として為すべき対応を未だに整理することができず、ずっともがき苦しんでいる。それでも私に幸せの本質を教えてくれた相馬への愛が尽きることはない。

 そして、最重要の学び、それは、自分のキャリアを自分で切り拓く勇気と気概である。
 見知らぬ土地で一期一会の出逢いに遭遇して地域の絆を心身で感じながら、一つひとつの仕事を開拓して少しずつ信頼を勝ち得ていく努力を、2年半、無我夢中で続けたことは、私のその後のキャリアの基盤となってきた。切れ味鋭く磨き続けるリーガルマインドは、日本のみならず世界のどこでも通用する武器になるという確信を持って、不断の努力を積み重ねていけば、今はまだ力不足でも、いつか必ず、社会をより良く変えていくSocial Engineerになれる筈。そう信じて、これからも傷付くことを恐れず、挑戦していきたい。
 
 こんなにも大切な一生の宝物となる学びを私に沢山与えてくれた相馬ひまわりさん。18年半、本当にお疲れ様、そして、本当にありがとう。
 
 最後に、私含む歴代6所長の数々の失敗と学びを、他の誰よりも近くで伴走して見守り、満身創痍の相馬ひまわりを最後の最後まで献身的に支えて下さった事務局の堀川敦子さん、志賀わかなさんに、心からの感謝を込めてこの拙文を捧げたい。写真で掲げているプレートは、「手元に置きたい」という私の我が儘に応えて、お二人が相馬ひまわりのドアから苦労して引き剥がして下さったものだ。今後のお二人の人生に幸せが満ち溢れますように。


 *1 ​この取材の結果は、令和5年12月27日付読売新聞福島版21面に掲載されている。司法過疎の問題に関心を持って取材頂いた薬袋大輝記者に感謝申し上げたい。





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Last updated  2024.04.23 16:50:39


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