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弁護士葦名ゆき(あしな・ゆき)のブログです。
東京、福島、静岡、アメリカと移動しつつ、人を幸せにする法律家を目指しています。 東日本大震災で被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。
カテゴリ:弁護士業務
先日、静岡県弁護士会修習委員会の企画で、「国立駿河療養所」を訪問しました。 修習委員会の先生方、本当に貴重な企画をありがとうございました。 感じたこと、考えたこと、頭を巡っていることが多すぎて、今でも心に色々な想いが溢れ返り、とても整理しきれないのですが、見てしまった者の責任として、可能な限り言葉にしようと思います。 国立駿河療養所は、1945年の開所以来80年経つ、国立のハンセン病療養所です。 令和8年1月1日現在の入所者数は30名、平均年齢は87歳とのことです。 広大な施設を職員の方に解説をいただきながら駆け足で見学をしつつ、小学生の時にこの療養所にいらして以来70年お住まいになっている自治会長を務めていらっしゃる男性患者Xさん(80代)のお話をお伺いしました。 今から書く内容は、いただいた資料、職員の方にご解説いただいた内容及びXさんのお話を元に構成していますが、内容に関わる一切の責任は私にあります。 ********************************** ・「療養所」という名前はついているものの、創立当時のハンセン病に対する偏見差別は非常に強く、Xさんのご認識としては、「治療」よりも「隔離」に重きを置いた施設であり、「ハンセン病患者を1箇所に集め、一般人と会わせない」ことが目的である。 ・確かに、御殿場にある山の中腹、立ち並ぶ建物もない一本道の林道を登った先に突然出現する施設の立地そのものに心をえぐられる。何も遮るものがない冬の青空に冠雪した絶景の富士山に単純に見惚れることはできない。むしろ、富士山の他を寄せ付けない孤高な佇まいにいたたまれない悲しみを感じてしまう。この立地は、「隔離」という言葉と体感的に完全に一致する。私は、静岡に来て20年近く経つが、これほどまでに心が一杯になってしまう富士を初めて見た。療養所の患者さんたちは、どんな想いで、日々、この孤高の富士をご覧になっていたのだろうか。 ・昔は、林道の入口に小学生の遠足の列等通りかかると、引率の先生が「この先には地獄の一丁目があります。一度入れば二度と出られない地獄です。皆さん、息を止めて走りましょう」と生徒に声掛けされたとか。 ・広大な敷地は、以前は、職員が勤務・居住する区域と患者が作業・居住する区域が厳しく隔てられ、前者は「清潔区域」、後者は「不潔区域」と呼称されていた。入居者の中には、未だに「清潔区域」に怖くて入れない人もいる。 ・Xさんは小学生の頃にこの療養所に来て既に70年経ち、現在80代。車椅子で講演会場に入ってこられ、「人前でお話するのは随分久しぶりです」と仰りながら、でも、持参されたノートを、変形した不自由な手でめくりながら、お心に秘めている様々な感情を時折滲ませながら、静かに淡々とお話くださる。Xさんの佇まい、言葉の一つ一つに、修習生、弁護士が、心身を傾ける時間となる。 ・Xさんは、療養所の中の学校に通い、同じ患者の先生に勉強を教えてもらった。高校は、療養所外で患者たちを集めた高校に行き、同じような年代の患者さんたちと会えたことが嬉しかったと仰る。でも、毎年年賀状が来なくなるのは淋しいですと。皆の命の灯が少しずつ消えてゆく。いつか全員の命の灯が消える日が確実に近づいている。それでも語り継ぐ責任を託された気がした。 ・敷地内には、患者さんたちが作業していた棟、ご夫婦で住んでいた棟、開業されていた床屋さん等が残っているが、少しずつ朽ちていきながら森に飲み込まれていっている。子供をもうけることが許されなかったため、この療養所内に「次世代」はいない。 ・納骨堂には、療養所で最後を迎えた方の骨壺が整然と並ぶ。氏がなくお名前だけの骨壺は、療養所で実施された中絶手術の後、長い間、名付けられることも弔われることもなくホルマリン漬けにされていた胎児の遺骨で、両親がご存命の方は両親により、そうではない方は両親の名前から漢字を取って、名付けられた。 ・初期の遺骨はびっしりと並ぶが、年代が新しくなるにつれ、療養所外のご家族に引き取られる遺骨も出てきて、引き取られた遺骨が置かれていた部分がぽっかりと空く。亡くなった後は、大切な仲間がいる生涯の大半を過ごしたこの場所で眠りたいと希望された方もいらっしゃる。 ・Xさんが、2001年(平成13年)の熊本地裁の「らい予防法違憲国家賠償請求事件」(遅くとも昭和35年には、新法の隔離規定は、その合理性を支える根拠を全く欠く状況に至っており、その違憲性は明白となっていたというべきである)について淡々とした口調に想いを込めて漏らされた言葉を私は一生忘れない。 「これまで人間として扱ってもらえなかった。でも判決で人間として扱われるようになった。判決は人間として扱われることが当然だと思う意識を自分に芽生えさせてくれた。」 ・・・人間として扱ってもらえなかった、と一人の人間に感じさせてしまう環境がどれほど過酷なものか、想像しきれない言葉を絶する人権侵害があったのだと実感する。そして、「人間として扱われることが当然だと思う意識を芽生えさせた」という言葉。熊本地裁判決が患者さんたちにもたらした価値に私の想像がとても追いつかない。 ・Xさんは、新型コロナ患者が差別されていたとき、我がこととして痛んだという。私たちと一緒だ、また同じことが繰り返されているという深い憤りと悲しみが伝わってきた。原発事故で福島からの避難者が差別されていた時に、被爆者の方々が誰よりも深い憤りを表明していたことを思い出す。差別の痛みを知る者故の鋭敏な感覚をきちんと理解し共有できていなかった自分の鈍感さが心底恥ずかしい。 ・Xさんの療養所で過ごされた70年は、私の人生がすっぽり丸ごと余裕を持って納まる程の期間。私が、Xさんが「人間として扱ってもらえなかった」間もずっと、Xさんたちの人生に想いを馳せることもないまま、私なりの彩り豊かな日常を過ごしてきたことを、今も受け止めきれない。でも、少なくとも、今も沢山の患者の方々が、全国各地にいらっしゃること、現役世代として一法律家として自分に語り継ぐ責任があること、絶対に忘れないで生きていきたい。 ・敷地内に1,000本の桜を植樹しようというプロジェクトがあった。敷地の制約もあり1,000本まではいかないが、敷地のあちらこちらに沢山の桜の木がある。特に納骨堂の周辺には多い。いつか患者さんたち全員がこの世を去っても、美しく咲く桜に惹かれてこの地を訪れる方がいますように、その時に自分たちのことを思い出してくれますように。そんな願いが込められた桜は4月の第二週が見頃だそう。必ず観に行きますね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2026.01.15 10:52:13
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