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弁護士YA日記

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日出町法律事務所
2019年6月より1年間、日本弁護士連合会客員研究員としてイリノイ大学アーバナシャンペーン校に留学後、弁護士業務を再開しました。
弁護士葦名ゆき(あしな・ゆき)
2011.05.20
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カテゴリ:東日本大震災
東日本大震災から2ヶ月。
2ヶ月経っても、私の第二の故郷の相馬は、復興の途につけない状態です。
下記は、全国の弁護士が加入しているMLに相馬の惨状を発信するために書いた訪問記です。

**********************


静岡県弁護士会の葦名です。平成17年から平成19年までの二年半、相馬市に開設された相馬ひまわり基金法律事務所の初代所長として赴任しておりました。

その縁で、GW中、関弁連と東京三会の合同企画で、福島県弁護士会相馬支部管内の被災地の避難所相談のために弁護士を派遣するプロジェクトに関わらせて頂きました。
遠方からアクセスの悪い場所に、たくさんの先生方が被災地を助けたいという熱意をもって駆けつけて下さったことに感謝の思いで一杯です。
相馬支部支援(福島県支援)は、今後も続く見込みですし、実際にも息長く続けていく必要がありますので、引き続き、ご支援の程、よろしくお願い申し上げます。

私自身は、4月29日、30日と、第二東京弁護士会の田岡直博先生、池田綾子先生、井茂喜之先生と一緒に訪問して参りました。以下、長文になりますが、私の視点からの相馬訪問記です。


【言葉を失う・・・津波被害】

相馬には、福島駅でレンタカーを借りて向かいました。福島市内を抜けて相馬に向かう唯一の国道115号線は、相変わらずのカーブのきつい山道ながらも亀裂も入っておらずいつも通りでしたし、相馬市内に入っても、車窓から見る景色は、私が知っている相馬と何も変わりませんでした。

桜も美しく咲き、春の陽光に照らされてお城のお堀の水もキラキラと輝き、街には、犬を連れて散歩している方がのんびりと歩いておられ、震災後の50日間、相馬のこと、そこに住む人々のことを考えて心が痛み続けていた私が、「もしかして、あの震災は夢だったのかな、そうだ、やっぱり夢だったに違いない」と本気 で信じたくなってしまうほど、穏やかな光景が広がっていました。

でも、当たり前ですが、夢ではなかった。

最初の避難所、新地町に向かう途中で、突然、道の片側に風景がなくなり、海が見えました。動揺を抑えて新地町での避難上相談を終え、今度は、相馬市内の漁港に向かいました。赴任中に、何度も何度も訪れた場所です。

海に向かう途中までは、いつもの穏やかな街並みが続いていたにもかかわらず、突然、本当に突然、風景が一変しました。
流されてひしゃげた家々、がれきに覆われた土地、地面に点在するたくさんの船、その光景が、私にとっては気が遠くなりそうなほど長く続き、これ以上先に進めなくなったところに海がありました。

同行した先生方の、「ここは何があったところでしょうか?」という問いに対して、私は、ひたすら首を振るしかありませんでした。本当に分からなかったのです。何もかも流されているから、目印になる建物が何もないから、自分の立っている場所がどこなのかがわからないのです。

船が一杯並んでいた漁港はどこにいったのか、「おねえさん、おまけしとくよ」と明るい声が飛び交った魚市場はどこに消えたのか、海辺に広がっているはずのイチゴ栽培のビニールハウスはどこにいったのか。

それに、ここに暮らしていた寡黙ではにかみ屋の漁師さんたちと、口調は強いけど優しくてきっぷのいい奥さんたちと、海辺を走り回る小さな子供たちは一体どこにいったのか・・・。人々が確かに住んでいた場所であるはずなのにその面影がまったくなかったことに、衝撃を受けました。

よく新聞報道で「津波被害に言葉を失う」と書いてありますが、文字通り私もそうでした。今でも、言葉になりません。新聞よりもテレビよりも、その情報を受けて私が勝手に想像していたよりも、ずっとずっとずっとずっと被害がひどくて、あんまりにもひどくて涙も出ませんでした。ただ、ひたすら海に向かって手を合 わせて、祈ってきました。

翌日訪問した南相馬市も壮絶でした。
屋内退避が解除されて日が浅いということが影響しているのかもしれませんが、津波被害があった場所にいるのは黒い自衛隊車両ばかり。相馬市以上に、被害が広範に及んでいる印象を受けました。
潰れた家や、泥だらけで原型をとどめない車には、赤いペンキで、マルが書いてあり、これはなんですか?と同行してくださった南相馬の西山弁護士にお聞きすると「この中は既に(遺体を)捜索しました」という意味だということ。なんと相槌を打てばいいのかもわかりませんでした。

【地獄絵図・・・見える境界、見えない境界】

新地町、相馬市、南相馬市、それぞれで目にした津波被害の光景は、地獄絵図そのものでした。
ただ、ものすごく不思議な感覚に襲われるのは、地獄が、海を背にして走る途中で、突然消えることです。津波被害が来たところまでで、地獄は一見消えます。
市街地は、建物倒壊等を含めてほとんど被害がなく、先ほど述べたような穏やかな日常が広がっています。たった今見てきたばかりの地獄は、幻か夢ではないかという感覚に襲われてしまいます。そんなわけないのですが、そんなことを想ってしまうほど、平和な日常と地獄が同じ地域に併存しています。

しかし、福島には見ることすらかなわない地獄もあります。
今回、南相馬市の南部、小高区に入る直前の、原発20キロ圏の境界線まで車で行ってきました。道路はゆがんでいるわけでもなく、その先にも穏やかな風景が続いていることが目に見えて分かっているのに、突然、道路が遮断され、進めなくなるのです。

20キロ圏内の警戒区域に、防護服をした関係者が出入りしている様子は、テレビの映像とは比較にならないほどに、隔離された区域であることを実感させ、壮絶そのものでした。
20キロ圏内では、これまで見てきた新地町、相馬市、南相馬市の北部、中部と異なり、この中で何が起きているのかも分からないのです。探すこともできないご遺体が多く眠っているのに、ご家族は探しにいくことすらままならない非情な線が引かれていました。
津波が到達した線のように目に見えない線だけに、不条理の一言です。変わり果てた故郷を見ることもつらいですが、故郷がどう変わったかを確認することすら許されないつらさはいかばかりか・・・、不幸比べをすることは不毛だけれど、被害を目の当たりにすることすら許されない人々の怒りを肌で感じた気がしました 。

小高区にも赴任中、何度も何度も行きました。赴任中は、災害らしい災害はほとんどなく、小高区の防災無線は、社会福祉協議会の主催する「困りごと相談」に弁護士がやってきたということを住民に告知するために使われていました。

「防災無線のテストも兼ねているのですが、隅々まで伝わるみたいで効果絶大ですね!先生、今日は18人も申し込みがありますよ!」
「え、だって3時間しか時間ないですよね!?」
「3時間あれば18人できませんか?みんな先生が来るのを楽しみにしていたんですよ」
「・・・。はい。頑張ります・・・!」

笑うと目がなくなってしまうような笑顔の明るい女性職員とのこんなやりとりが、20キロ圏内を指し示す境界線で急に思い出されて、胸が締め付けられるような気がしました。

3月11日、防災無線は、本来の機能を果たして、市民の方を津波から避難させ、続いて原発から避難させたでしょう。いつの日か、いつの日になるかわからないけれど、原発問題が収束して、住民が戻ってきて、まだ防災無線が、困りごと相談の告知に使われる日が来てほしいと祈るように思いました。

【光が見えない・・・絶望感との闘い】

既にこのMLでも多数報告されている通り、避難所では、給付金や相続についての具体的な相談もありましたが、どちらかといえば、心に積もる不安、不安が煮詰まった絶望感を吐露される方がとても多かったです。

「避難所とはいえ、ライフラインもあって衣食住が一応保障されている毎日の中、全部夢だったのかもしれないと思って、海を見に出かけてしまう、そしたら、やっぱり夢じゃないんだって思う。命だけでも助かったと思わなくちゃいけないのだけど、毎日絶望に接している。いっそ、あの津波に流された方がよかった。先 生、生きるのも地獄だよ。死ぬのも地獄だけど、生きるのも地獄なんだよ」と涙ながらに仰る方、

「希望がない、原発があると何も踏み出せない。瓦礫は片づけられても、放射能を消せないと立ち上がれない。何を希望にしたらいいのか教えてほしい」とすがるような目で迫ってこられる方、

本当にやるせない思いを抱えた方がたくさんいらっしゃいました。

軽々に答える言葉も見つけられず、目を見てうなずきながら黙って手を取ってさするしかできない無力な自分が苦しかったです。

また、地域に子供がいませんでした。放射能を恐れ、子供だけでも疎開させているご両親が多いということでした。子供がいない地域で、希望を語ることは、本当に難しいですね。復興の希望の光が見えないのは子供たちの笑顔がないためかもしれません。







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Last updated  2011.05.20 09:44:35
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