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テーマ:渡り鳥(51)
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3月28日(火)晴れーにわか雨ー快晴
今回の合宿は天候に非常に左右され、気象係を行ったせいもあるが、天候の変化というものに関 心を持った。昨日の嵐が幸いにも1日のみで終わり、島へ来た初日にほぼ匹敵するような、天候の 回復をみた。午後に一時にわか雨があったが、それもすぐ上がり、青空で覆われ、抜群の快晴であ った。 午前中は自由時間のため9時15分の気象をとった後、島のまだ足を踏み入れていない南西側の 部分から西側の海岸線づたいに島の北側にまわった。人家は南側にずっと続き、島の東側に見られ るそれとあまり変わりはないように思われた。 島の西側では女の人が腰まで海水に浸かりワカメなどを採っている姿が見られた。島の人が我々 を注視しているように感ぜられ思わずうつむいて通り過ぎてしまった。彼らは我々を単なる物見客 として軽蔑していないかということを、また我々は彼らの生活を野次馬的に興味本位に見ているの に過ぎないのではないかということを激しく思い、思わず下を向いて歩く結果となってしまった。 西側には奥津姫神社という、舳倉島でたくさんある神社の中で最も大きいと思われるものがあっ た。以前にも思ったがどうしてこんな小さな島に多くの神社が存在するかということも興味深かっ たが、結論として彼らが海を相手に自然の幸である魚を獲るという、偉大な常に変化する自然の中 での生活からおのずと生まれてきたものであろうと思われる。 輪島にいる時、海士町の子供たちから、舳倉島からは石を本土に持ってきてはならない、もし持 ってくると神の罰を受けるという話を聞いたが非常に興味深かった。彼らの祖先にとって島の生活 の場という重要性とともに、本土の輪島から48kmも離れた日本海に島が存在したことがすでに 神秘であり、島を削り、海に沈めるような行為を厳しく戒め、島の存在を常に永遠なものであるよ う祈ったのではと思われる。また、現在住んでいる人もそう考えているのかもしれない。 途中、島の三人娘に会い写真を撮った。純情そうな娘たちだった。 北側は全く人家はなく、海岸線はごろごろとした石が多く、非常に歩きにくい。灯台が非常に遠 くにあると感ぜられた時、島も思いのほか大きいと思った。北側は切り立った崖が続き、そこには 日本海の荒波が打ち寄せていた。海岸線の切り立った岩は紙を何枚も重ねたような一枚一枚はがす ことができそうな岩がほとんどであり、岩のくぼみには雨水かあるいは海水が常にたまっているよ うである。 昼食後は天気が少し崩れたため、6人揃って昼寝。目を覚ますと、日の光が見えたので急いでテ ントから飛び出すと雲一つなく快晴になっていた。明日は輪島に帰れそうなため内心ホッとする。 もし、この機会を逃すとまた2,3日海が荒れそうなので、今の高気圧が張り出しているうちに、 帰らねばと思う。 すでに春合宿も8日が経ってしまった。全く行動しないので、暇で暇でしょうがないだろうと思 い本を2~3冊持ってきたが、天候にたたられたせいもあるが、読書をする時間はなかった。結構 あれこれやることができて、時間を持て余すことなく過ぎてしまった。自分のことをじっくり、日 本海を眺め考えようという、合宿前の希望は満たされそうもないのが、少し残念だった。 夜のミーティングも気分がほぐれ、最初にパーティを組んだ時の堅苦しさはなく、皆、和気あい あいの雰囲気になってきたのはよいが、パーティを2分するような、侃侃諤諤の議論にまでは至ら なかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.08.30 14:34:06
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