復刻日記 芥川龍之介の古本 PART 2
復刻日記 前日からの続き。前日に書いた芥川の古本は、結局買った訳なのだが、古本屋が「どうして、こんな本を買うんですか?」と聞く。「こういう古~い本が好きなのと、古い読みにくいフォントとフリガナがいい。その時代の雰囲気が感じられる」というと、古本屋さんは、「変わった人ですね~」と言っている。値段を聞いたら「前の持ち主の所蔵印が押してあるので、これを消しゴムで消して、本にグラインダーを当ててキレイにして二千円」という。「それをしないでこのままでは?」と聞くと「千円」ということだった。その時は、拾い読みをした本の記述内容の面白さにひかれ、芥川の洒落た語り口にワクワクしていたので、即座に買った。奥付の芥川の印鑑に気がついたのは、帰宅して本を開いた時だった。買う時には邪念はなかったわけである。 ―――― ◇ ――――昨日書いたこの芥川龍之介の「支那遊記」なる本の「自序」、言い換えれば「まえがき」。もういちど、引用してみる。----------------*自序*支那遊記一巻は、畢竟天の僕に恵んだ(或は僕に災ひした)Jounrlist的才能の産物である。僕は大阪毎日新聞社の命を受け、大正十年三月下旬から同年七月上旬に至る一百二十余の間に上海、南京、九江、漢口、長沙、落陽、北京、大同、天津等を遍歴した。それから日本へ帰った後「上海遊記」や「江南遊記」を一日に一回づつ執筆した。、「長江遊記」も「江南遊記」の後にやはり一日に一回づつ執筆しかけた未完成品である。「北京日記抄」は必ずしも一日に一回ずつ書いた訳ではない。が、何でも全体を二日ばかりに書いたと覚えている。「雑信一束」はい端書に書いたものを大抵はそのまま収めることにした。しかし僕のジャアナリスト的才能はこれ等の通信にも電光のやうに、―少くとも芝居の電光のやうに閃いていることは確である。大正十四年十月芥川龍之介記----------------この序説の中の次の二カ所は気になった。★ 「畢竟天の僕に恵んだ(或は僕に災ひした)Jounrlist的才能の産物である。★ 僕のジャアナリスト的才能はこれ等の通信にも電光のやうに、―少くとも芝居の電光のやうに閃いていることは確である。このへんは、ずいぶんえらそーな態度だな~と思う。自信満々という感じだ。芥川はこういう人だったのだ。才能はともかく、態度が大きい・・・、その点で私もひけは取らない。----------------この本は表と裏に見覚えのある絵が描いてある。どうも敦煌の壁画の一つだと思う。奥付を見てみる。★大正十四年十一月一日印刷★大正十四年十一月三日発行これだけなので、粗末な本ながら、なんと初版らしい。★ 著作者 芥川龍之介★ 定価 金貳円★発行者 山本美 東京都芝区愛宕下町一丁目一番地愛宕下町か。あの辺だなと見当がつく。★印刷者 上田庄助 東京都芝区愛宕町二丁目愛宕町か。NHK発祥の地か?その近くのはず。★改造社 東京都芝区愛宕下町一丁目一番地 振替口座 東京八四〇二番 電話 高輪四九九三番改造社の住所が発行者 山本美さんと同じだ。改造社の住み込みの掃除のおばさんなんだろうか?美という名前でも実は男性で、改造社の社長さんなのだろうか?山本美さんという人はどういう人なんだろう?ネット検索してみた。マルクス エンゲルス全集 第7巻 山本美・編 改造社 1929こういう本がある。山本美さんは改造社の住み込みの掃除のおばさんではなかったのだ。住み込みの掃除のおばさんがマルクス エンゲルス全集の編集をするだろうか?午前中はマルクス、午後はエンゲルス、夜は掃除。そんなことは、するはずが無い。なかには、する人もいるかもしれないが。さて、収入印紙に印鑑が押してある。当然、芥川の印鑑である。しかし残念ながらこの印鑑が実に薄い。判読が出来か出来ないかの境界線と言っておこう。朱肉の色も普通のものでは無くて、チョット赤い色だ。「印鑑を押す」と言う表現で、今までごまかして来たが、本当はどう言うのだろうか?押印なんだろうか? それとも捺印なんだろうか?そう思って「押印」を辞書でひいてみたら、「おういん=判を押すこと。捺印。」とある。な~~んだ!押印と捺印は同じなんだ。今度は捺印を引く。捺印=印鑑を押すこと。類語=押印。捺判。同じだが例文に契約書のものが多い。で、ネットで探すと次のような事が書いてあった。---------------・・・いずれも間違いで、署名捺印(しょめいなついん)と記名押印(きめいおういん)が正しい用法です。(署名は)自分で直接名前をペンなどの筆記用具で記すこと(俗に言うサイン)をいい、記名は自分の名前を例えばゴム印を押したり、あらかじめ契約書に印刷しておいたりすること、すなわち署名以外の方法で自分の名前を記すことをいいます。押印、捺印はいずれも印章を押すことですが、署名には捺印が、記名には押印がそれぞれ対応して用いられます。法的な証拠能力としては、直筆でサインする署名の方が証拠能力として高く、証拠としての有効性は 署名捺印 署名 記名押印 記名 (これだけだとほとんど意味がない)の順になっています。あくまで証拠としての有効性の強弱で、署名・記名・押印の事実が否定される訳ではありませし、個別の法によっては要件が定められているものもあります。---------------------------それなら、この奥付では印刷だから、記名。だから、記名押印となる。このサイトは名称がわからないので、アドレスだけを下記に示すことにする。http://www.dragonknight.org/dragonknight/subway/utcse/utc04.htmしかし、この芥川の押印、正確には術語があるのだろうか?「著者」「奥付」で検索してみたら下記のようなサイトを見つけた。--------------------奥付 平成13年3月10日掲載 発行日、著者名、発行所など、その本の情報を示すものを「奥付(おくづけ)」というが、これは日本独特のもので外国の書物にはないものである。月刊誌や週刊誌にもある。単行本の奥付は、書籍の最後に載せられているが、いずれも本の身分証明ともいえる。 昭和三十年代辺りまでは、ほとんどの書籍が一ページ分を使用しても奥付を直接そこに印刷をしなかった。名刺大の紙に必要事項が印刷され、ページの中央に糊で貼り付けられていたはずである。これを「貼り奥付」といった。さらに、その紙片には「検印紙」と称する著者の検印があった。切手かもしくは収入印紙のような形で、著者、つまり著作権所有者が印鑑を押す。複製とか偽書を防止するという意図である。さらに、本の冊数を確定するということもあった。印税という言葉は、この検印制度から来ている。 検印は著者自身か、もしくは著者の関係者が一つひとつ丁寧に押したはずである。製本所から大量に作られた本が、そのまま段ボールに詰められて書籍取次にまわるのでなく、一冊ずつ裏表紙を開けて印鑑を押している姿を想像すると、丹精込めた自分の著書だという雰囲気が伝わってくる。(中略)ともあれ、奥付は格別面白いものでもない。しかし、これは本の履歴書でもある。 ----------------このサイトのアドレスは下記。http://www.mable.ne.jp/~koura/komore18.htm----------------そうだ!検印と言うんだった。私は知っていた言葉だったのに今まで忘れていた。それにとてもうれしいのは下記の記述である。★検印は著者自身か、もしくは著者の関係者が一つひとつ丁寧に押したはずである。やはりそうか?夏目漱石も芥川龍之介も、きっと自分自身で押したはずだ!というのも、当時はそれほどの数の出版数は、なかったはずだから。(多少希望的観測がある事は認める) ―――― ◇ ――――この本が大正十四年の初版本であることはわかった。その次に調べたかったのは下記の二点だった。1) これ以降、この本は出版されたのか?2) 出版されたとするとどんな形でなのか?3) 芥川の全集ものがあれば、その全集に収められているのだろうか?「支那遊記」をネット検索してみた。古本の単行本が引っかかった。★支那遊記 芥川龍之介 改造社 大14 25,000円 初版 箱入り ★支那遊記 芥川龍之介 改造社 大14 25,000円 初版 函入り2点とも「函入り」で「初版」。それも大正14年の初版だ。私の、この安手な製本のものも大正14年の初版だ。函入りとこの本の二種類が同時に発売されると言うことはないだろう。とすると、この安手な本には実は函があって、それに入っていたに違いないと思う。(相変わらず自分に都合のいい推理を強引にしてしまうが、これは案外あたっているのではないだろうか?)全集ものを探す。芥川龍之介全集も、下記のものがあったが果たして「支那遊記」が収められているのかどうかはわからない。★岩波書店 全12巻★岩波書店 新版 全24巻★筑摩書房 全8巻★ちくま文庫 ―――― ◇ ――――昨日の日記でつい冗談半分で「明日、驚くような新事実を!(テレビの見過ぎだ)書こうと思う」と書いたが、その理由は :1) 単行本としては大正十四年のこの初版本以来、出版されていないらしいこと。2) 「支那遊記」の函入り初版本に2万5千円の値が付いていたので、この本も函入りでこそないが、1万円近くの値段はつくかなと思ったこと。3) 芥川の検印があることそのへんをチョット大げさに書いてしまった。それに、もし全集の中にこの「支那遊記」がしっかり入っていたら、もっと価値がさがることになる。しかし・・・、実は、私としてはそんな価値が無くても全く、がっかりなんかしていないのだ。その理由を書こう。日曜日の朝日新聞に養老孟司氏がこう書いていた。---------旅に出る時には、一刻の無駄な時間もいやだから、その時は本を読むことにしている。その時には英語の書物をカバンに入れる。日本語の本だとすぐ読んでしまうので、数冊もカバンに入れなければならない。その点、英語の本だと、日本語の本にくらべて約5倍の読書時間がかかるので、1・2冊ですむ。それだけカバンが軽くなる。---------養老さんも粋なことを言うな。私も英語の本を読んでもいいんだが、もう商社勤務でもないし、英語力を伸ばす必要もないし、英語で読書は原則的にあきらめた。残り少ない人生の日々を鑑みてみれば、効率的にとても日本語の本とくらべものにならない。ただし英語で読んだ方が「匂いが出る」本や、「英語でしか発行されていない本」は英語で読もう。シャーロック・ホームズなんかはそういう本かも知れない。エドワード・デ・ボノ博士の「知的用語辞典」(廃版)の原本 WORDPOWER (ペンギン)もそういう本かも知れない。海外で買ったもののまだ読んでいない英語の歴史地図・歴史年表・聖書関係の本などもそうかもしれない。(この日記の後の話だが、ブックオフで芥川全集を見つけて探してみたが、支那遊記はおさめられていなかった。上海遊記だけだった。つまりこの本はなかなかの貴重な本であるという結論となった)