功徳が出ない3つの方法!?
顕正会にいた時に、N井男子第二部長や名古屋の男子部幹部から、「功徳が出ない3つの方法」というのをよく聞いたことがあります。 【功徳が出ない3つの方法】 1.御本尊を疑う2.自分を疑う3.顕正会を疑う どれか一つでも疑うと、勤行や折伏を頑張っていても功徳が出なくなるそうです。 1と2はともかく、問題は3の「顕正会を疑う」ですが、顕正会を疑ったら功徳が出ないと教えるのは、要するに功徳が欲しければ顕正会を疑うなということであり、これは顕正会に盲信させるための洗脳ですよね? 少なくとも私はこの話を聞いた時に、顕正会に対して疑問を感じました。 そもそも、法華経の信仰には「三つの疑い」というものが説かれおり、日寛上人は次のように『法華題目抄文段』でご指南されています。 「止観の第四に三種の疑を明かす云々。弘の四の末に云わく、『疑に過有りと雖も然も須く思択すべし。自身に於いては決して疑うべからず。師法の二は疑いて須く暁むべし。若し疑わずんば或いは当に復邪師邪法に雑るべし。故に応に善く思い之を択ぶべし。疑を解の津とすとは此の謂いなり。師法已に正にならば、法に依って修行せよ。爾の時、三疑は永く須く棄つべし」 御文の意味は、疑うということは仏教においては決してよいことではないけれど、しかしこれをよく思い択びなさいということです。択ぶことが疑うということになります。 まず、自分自身に対しては、決して疑ってはいけません。自分は自分ですから。 そして信ずべき師匠と法、この二つは疑ってご覧なさい。そして、はっきりさせなさい。 もし疑わずに頭から信じ込むと、その時に誤った師匠や法に騙されるからです。よって、疑いそしてよく考えなさい。そして、これを択びなさい。 疑うということが物事を正しく理解する出発点になるのです。師匠と法がすでに間違っていないとはっきりしたならば、法によって修行をしっかりしなさい。 その時、三つの疑いは永く棄てなさい。もうその後から、ああでもない、こうでもないと色々と疑ったりしてはいけませんというのです。 現在の顕正会を信仰する人は、日寛上人のご指南にあるように、一度師匠(浅井氏)を疑ってみて、本当に正しいかどうか判断する必要があるわけです。