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カテゴリ:現代社会
今日の東京新聞「貧困の構造」3、は野宿者支援「自立生活サポートセンター もやい」事務局長の湯浅誠さんでした。知らなかったですけど、東大の博士コースを出た人でした。
題は「自己責任論の風潮問題」 本文はこう始まります。 「貧困問題を自己責任論に矮小化する風潮がある。「日雇い派遣の仕事をしながらネットカフェなんかに泊まって、なんて自堕落なんだ」「貧困になりたくなければ、非正規な仕事を選ばなければ良かったじゃないか」というように。 しかし、その人たちにとって正規社員か非正規社員かを選ぶのは等価じゃなかったはず。自由に選択できなかったという実態を社会が分からない。貧困を論じるときの大きな問題だ。」 その次を要約すると 「団塊の世代、高度経済成長を体験した人の多くは「まじめに働けば報われる」という意識がある。うまくいっていない人をなかなか理解できない。」 「親にどうしても理解されず「家の中で居場所がない」と精神的に参って家を飛び出し、貧困に陥る30代の団塊ジュニアは少なからずいる。」 「貧困の人たちの再チャレンジ策として、行政は職業訓練を強調するが、一番の問題は財政難を理由に十分な生活保障をしないことだ。われわれの団体のブログに書き込んできた若い男性がいた。「再チャレンジ以前で行き止まりです。職業訓練に行くお金なんてない。生きているのも死んでいるのも同じです。」それが本当の声だと思う。」 「貧困労働者に自立を求めるなら、自立できるだけの環境整備が必要だ。」 ☆という貧困の現場からの湯浅誠さんのメッセージでした。このままでは、もうすぐ、大量の働けない(無能力の)若者が、団塊になって出現すると、昨日の2、には書いてありました。国を作っているのは人である、ということを忘れ果てた政治の行き着くところはこんなもんですね。 町から職人を無くし、田舎から百姓を無くして、伝えて行けるものが無くなったのがこの国の姿です。しかしそれ以前に、明日の食事のない若者たちの悲鳴が。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.02.14 17:11:00
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