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カテゴリ:演劇、観劇
作・ユージン・オニール。
晩年の超大作と言われている作品です。 (本公演の上演時間も、15分の休憩を含めて3時間45分に及ぶものです。) 一年に一度、酒場のオーナーの誕生日にふらりとやってくる男がもたらす物語。 1912年、ニューヨーク。娼婦の出入りする宿つき安酒場が舞台です。 そこで一晩中安酒を飲んだくれている人々。自身の境遇を、うわ言のように嘆きながら、彼らが待つのは、通称ヒッキー(市村正親)という男。彼が来たらもっと酒が飲める、彼さえ戻ってくれば・・・と、「ゴドーを待ちながら」よろしく、人々は彼が来るのを首を長くして待っているのです。 今の自分の悲惨な状況を紛らわすかのように、そこにいる人々は、酒びたりになり、酒の力で、明日はこうする、本当の自分はこうだと豪語するのを、観客はただじっと聞いています。 警察の目を逃れるために転がり込んでくる青年パリット(岡本健一)にしても、自身の身の振り方が決められずに、かつての活動の同志であったラリー(木場勝己)を頼りにやってきますが、今の彼にとっては自分のことさえも見つめる気力も無いので、相手にしません。 そんな人々が集う中、開演してから50分あまりで、ついにヒッキーがやってきました! どうやら、私たちが目にしているヒッキーは、仲間からすると変わってしまった姿らしいのです。 彼はまるで聖人のように、酒びたりの人々に、自分の望む生き方ができるよう手を差し伸べます。 それがもたらす人々への影響は?そして何がヒッキーにそんな行いをさせているのでしょうか? その真意を探る前に、酒場の人々は豪語してきた「できる」ことへの一歩を自ら踏み出すことになります。しかし、それを見るにつけ、我が身が虚しくなるのを感じました。 そして実際にそれを成し遂げられないことを、彼らは思い知ることになるのです。 最初のあの50分があるからこそ、登場する人々の行動を見届けようとする気持ちになりました。 ここでの彼らの一歩は、私たち誰もが持っている、「本当なら自分は・・・」「いつかきっと・・・」というものを具現化したもののように思えて、身につまされる思いがします。 希望と目標と幻想と、ましてやそれに立ち向かうことへの難しさ。成し遂げるためには、何が必要なのか、ずしんと胸に響いてきました。 演出の栗山民也が、7年間務めた芸術監督の最後の仕事に、この作品を選んだ理由とは。 最後にヒッキーが語る自身の胸の内と決心。 皮肉にも、今の日本では、結果だけを見るとヒッキーの起こしたような事件が蔓延しています。信じ難い事実として。 その動機と後悔の念の深さを測り知ることはできませんが、それらが戯曲の事件として成立しなくなりつつある時代の悲哀を痛感しました。 作品からメッセージが沸き上がってくるような栗山演出作品への関心は、これからも尽きることはありません。 作・ユージン・オニール、翻訳・沼澤洽治、演出・栗山民也、美術・島次郎、照明・勝柴次朗、音響・上田好生、衣裳・前田文子 ※公演詳細は新国立劇場のサイトで。 (新国立劇場 小劇場にて) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.06.26 12:09:01
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