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カテゴリ:栃木の風景
はしかが流行しているそうです。お国に報告された患者数は2200人を超え、今後も拡大の様相を呈していると新聞にありました。
そんな中、私の関心は日々ネットでチェックする花粉の悲惨情報・・じゃなくて飛散情報に向いています。夕刻より鼻がムズムズし始め、遂に栃木県も飛散か?と思いましたが、飛散を示すマークは県内にはついていませんでした。掃除をしたホコリのせいのようです。 栃木県北部に位置する那須町。本日ご紹介する伊王野(いおうの)城跡のある伊王野は、那須町東部に位置し、旧東山道の宿場町として栄えた地区です。現在は那須町の一部ですが、1954(昭29)年に周辺町村と合併するまでは伊王野村の中心でした。 地名にもなっている伊王野氏は平安時代の弓の名手とされる那須与一の流れを汲む一族で、鎌倉時代の1239(延応元)年頃に、この地に居館を築きました。 (現在は敷地一帯が伊王野小学校になっています -那須町伊王野 H19.2.4-) 伊王野氏はこの居館に約300年に渡って住み続けましたが、室町時代の1487(長亨元)年、裏手の山に城を築き移りました。この山城が伊王野城で、別名霞ヶ城とも呼ばれています。江戸時代の1627(寛永4)年に廃城となるまで140年間、伊王野氏の居城として使用されました。 (伊王野城跡に上れば、那須の景色が眼前に広がります -那須町伊王野 H19.2.4-) この伊王野城跡へは車でも上がれますが、伊王野小学校の裏側に建つ専称寺(伊王野氏菩提)脇から伸びる山道を登ってもたどり着くことができます。山頂へ続く道には四国八十八ヶ所霊場になぞらえた石仏が並び、山頂には弘法大師像が鎮座しています。 (八十八体は無かったように思います -那須町伊王野 H19.2.4-) 何度も訪れている伊王野城跡ですが、人に会ったのは1度だけと記憶しています。すぐ近くにある「道の駅伊王野」は訪れる人が絶えないのですが・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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