大岳山山頂に遺棄されていたガスボンベについて思う・・・・。
この錆具合を見ると、置き忘れたか?捨てられたかは解らないが、数日と言うレベルではなく、数週間・・・或いは2~3ヶ月そこにあったのかもしれない。登山道にゴミや空き缶などは全く無いことから考えても、まだガスが1/3以上残っているのが解ることからも、おそらく頂上で火を使った登山者が捨てたとは考えにくく、置き忘れたか?山頂に置いておけばガスが切れた誰かほかの人が使えるかもしれないとか、まだ使えるならと誰かが持ち帰ってくれれば自分には不要になったボンベをリュックサックに入れて持ち帰らなくても良いから・・・、等いろいろと理由は考えることは出来るが・・・、現在の日本では放置された時点でそれは可燃性の危険ゴミでしかないし、扱いと処分に困る類のもだから持ち込んだ本人が廃棄までの責任を持たねばならない物だ。今私の家にそれはあるのだが、誰かが捨てて帰ったか置き忘れたかにかかわらず、そこに放置されるべきものでない事は誰でも感じることだろうから、誰かがそれを持って下山する他に、頂上広場のゴミを無くす手立ては無いはずだ。登山道を管理・維持する東京都等の職員がそこへ来るまで放置されて錆び付いて行くのをたくさんの登山者が見続けるのだろうか?私がそこに有るべきでないと感じたガスボンベだから、私は自分の意思で、片付けようと思って持ち帰ることにしたわけです。ただそれだけのことですが、すでに錆びがここまで進行しているところから数週間程度は大岳山の頂上広場にあったと思うのだが、それまでそこに有り続けたということが少し残念に感じられるのです。つまり、そこに誰かが置き忘れたか、捨てられた日からいったい何人の登山者がそこに放置されているボンベを見たのだろうか?その状況から放置物であると判断できるし、(錆が出ていればさらに廃棄ボンベと認知されるだろう)、頂上が登山者でごった返しているときは誰かの所有物かもしれないからと・・・リュックサックに入れて持ち帰るのもはばかられることも良く分かるが、早朝に最初にそこに到着した人や、夕刻にそこから去る人、或いは少ない人が頂上に居るときなど、それが放置されていることは容易に察することが出来るはずだ。それなのに、僅か200gにも満たない重さの廃棄物らしきボンベがそこに数日或いは数週間在り続けたということは、誰も他人の残した放置物を進んで片付けることを選ばなかったのだ・・・。と言う結果がそれまで続いていたことを物語っているのではないだろうか?この大岳山に至る登山道にはゴミは皆無でした。全くゴミらしきものを見た記憶がありません。つまりここを訪れる登山者全員が、自分の出したゴミを登山道から林の草むらの中に捨てたりせず、トレッキングを楽しみ、自分のゴミは持ち帰ったという証拠であるでしょう。だが、自分の出したごみを持ち帰るという行為は、言わばプラスマイナス0の行為でしかないことは、みなさんも共通の理解だと思っていますがいかがですか?自分の出したゴミや空き缶を登山道脇に捨てるという行為は、現在の日本人の社会倫理から見てマイナスの行為と言えると思う訳です。そして、山の頂や、海岸のビーチでひと時を過ごし、自分の出したゴミをそこに残さず拾い、もしそこに以前からそこに在ったゴミを見つけたとしたら、それも自分のリュックに入れて下山し、しかるべく処理できるところまで持ち帰るなら、それはプラスの行為と言えるのだと思うのです。私が残念だと書いた理由はそこです。山頂でのゴミ拾いに於いてプラスの行為をする人は、ボンベがそこに放置されてから数日~数十日現れなかったという事実です。紅葉シーズン前から11月の21日まで、いったい何人の登山者が大岳山の頂上に立ったでしょう?恐らく数百人は、頂上に立ったと思う訳で、そこを訪れた人たちの中に一人でも自分の出したゴミ以外でも拾い集めて帰ろうという登山者が居れば、私にそのボンベは見つけられることは無かったと思うのです。嘗て、「富士山は遠くに在りて眺むもの、登ってみればゴミだらけ・・・」と言われたほど、30~40年ほど前の日本人の自然保護や公共道徳の観念は、現在とは比較にならないほど低いものでした。その日本の山では、昨今ゴミを見ることは殆どなくなりました。それは人々の意識は高まって、自分のゴミは自分で持ち帰るということが常識となったからではありますが、それ以前からあった古いゴミは誰が片付けたのでしょうね?現在のゴミの無い山々は、自分の出したゴミ以外を持って下山する環境を守ろうとする有志の人々が努力した結果ではないですか?ゴミ一つない大岳山の登山道を気持ちよくトレッキングしてきたはずの数多くの登山者の中に有志の人は一人も居なかったのでしょうか?たった一個だけ頂上広場に数週間前から放置された非常に目立つ黄色の廃ガスボンベを拾って下山しようという人が現れなかったのはどうしたことでしょう???私はこうしたことを書くのも躊躇うのだし、上から目線で何か言おうとなど全く思わないが、ただ残念な気持ちにはなるのです。この私を含めた我々日本人の標準的な自然環境保全への意識や公益の意識はプラスマイナス0のレベルには達したけれど、平均して見ればまだプラス側までには至っていないという事なのだろう・・・。考えてみなくとも、自分の出したゴミを持ち帰るのは当たり前のことだろう、自分以外の誰かが出したゴミでも、躊躇いなく片付けて持ち帰ろうとする様になって初めて社会貢献にプラスの行為をしている人、ということになるのだと思います。皆さん如何お考えですか?公園などで遊んだあと子供にゴミを片付けさせるとき、他の人が片付け損ねたゴミも集めるように子供に言っていますか?自分の出したゴミを片付けることなんて最低限の義務に過ぎませんよね?今思うと、御岳山付近の交番か派出所へ遺失物として届けるのがベストな選択であったのか?等と思うが、内部にはまだガスが残っているので、不燃ゴミとして捨てるのも危険で許されていない事だし、合法的な処置としてはやはり警察に拾得物として届ける他ないかもしれない。このボンベは明日にでも遺失物として交番か派出所にでも届けようと思いますが、持ち込まれた警察官はどんな対応をするでしょうね?いくら不法に投棄されたものが危険物であるとしても多分、警察としても迷惑なだけだとも思うので、どうすべきか相談してみるというスタンスでしょうか・・・・?。