「何をなさいます、旦那様!」
突然土方に抱き締められ、千尋は悲鳴を上げると彼を突き飛ばした。
「どうやらお前ぇは大丈夫だな。」
「え?」
鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべながら、千尋が土方を見ると、彼は大声で笑い始めた。
「大抵の女は俺に抱き締められると、俺に気があると思って身体を許しちまう。その所為で総美が何人メイドをこの家から叩きだしたか知れねぇ。だがお前はそんな事しねぇから大丈夫だ。」
「からかったんですね!?」
千尋は頬を怒りで赤く染めながら、土方を睨んだ。
「そんなに怒るな。それよりも千尋、総美には子どもの事は禁句だぞ。」
「禁句、ですか?」
仲睦まじい土方夫妻の様子から見ると、すぐに総美が身籠ってもおかしくない。
「それは何故ですか?」
土方は千尋の問いに答える代わりに、引き出しの中から小さな木箱を取り出した。
その蓋を開けると、蚯蚓が干乾びたようなものが入っていた。
「それは・・」
「臍の緒だ。あいつと俺の初めての子のな。」
土方の言葉に衝撃を受け、彼が浮かべる暗い表情を見た千尋は、臍の緒の主がこの世に居ないことを悟った。
「あいつはぁ結婚してすぐに俺の子を身籠ってな。そりゃぁもうあいつの喜びようったら今でも思い出せるほどでな。」
木箱を持ったまま土方は安楽椅子に腰掛けると、洋燈が置いてあるテーブルから紙煙草を一本取り出し、マッチを擦って火をつけてそれを咥えた。
「だが妊娠中、あいつはつわりに苦しんで、入退院を繰り返すようになっちまってな。安定期を過ぎれば治まるだろうとたかを括っていたが、体調は一向に良くならなかった。それどころか悪くなるばっかりだった。」
土方は一番思い出したくないあの日の事を、ぼそぼそと千尋に話し始めた。
総美が産気づいたという電報を土方が受けたのは、東京に初雪が降った日の事だった。
「みつさん、総美は?」
「まだ出てこないみたい・・」
実家で総美は、いつ終わるとも知れぬ無限の痛みに暴れ、手負いの獣のように吼えていた。
その間、土方は無事に妻の出産が終わるようにと祈ることしかできなかった。
夜が明け、総美が籠もっていた産室から、疲れて果てた表情を浮かべた産婆が出てきた。
「総美は? 妻と赤ん坊は?」
産婆に詰め寄った土方に、彼女は重々しく口を開きこう言った。
「奥さんは無事だ。だが赤ん坊は駄目だったよ。」
土方は産婆から告げられた言葉に衝撃を受け、暫く廊下に立ち尽くしていた。
「総美・・」
産室の襖を開けると、そこには疲れ果てた総美が布団に横たわっていた。
「歳三さん・・赤ちゃんは?」
「駄目だったよ。」
「嘘でしょう? わたくし、確かに産声を聞いたもの!あの子は今何処に居るの、ねぇ!?」
総美は半狂乱になりながら、産室から飛び出して赤ん坊を探そうとした。
「落ち着け、総美! 赤ん坊は死んだんだ!」
「嘘よ、嘘ぉ~!」
死産を受け入れられずにそう絶叫した総美は、土方の腕の中で気絶した。
「そんな・・」
千尋は土方から総美の辛い過去を知り、言葉を失った。
「子を失った悲しみや辛さは、女にしか解らねぇ。代わってやれねぇのが辛い・・」
そう言った彼の表情は、カーテンの影に隠れて見ることができなかった。
きっと泣いているのだろうと千尋はそう思い、書斎から辞した。
その日の夜、総美は斎藤にドレスの着替えを手伝って貰っていた。
「お気をつけていってらっしゃいませ。」
「ありがとう、楽しんでくるわ。」
ゆっくりと化粧台の前から立ち上がった総美は、忠実な執事に微笑むと部屋から出て行った。
土方さんの口から語られる、総美の辛い過去。
待望の子を死産してしまうと言う悲しみを背負いながらも、夫に執着する彼女、そしてそれを陰で支える執事・斎藤。
ちょっと暗い話になってしまいましたね。
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