1866(慶応元)年、4月。
千尋が新選組に入隊してから、2年余りの歳月が経ち、伊東が水面下で怪しい動きをし始めていた。
「伊東さん、あんた一体何考えてるんだ?」
「土方君、そう素直にわたしが君に自分の腹の内を見せるとでも思っているのかい?」
歳三は休息所で伊東にそう尋ねると、彼の答えは予想していた通りのものであった。
「ふん、何を企んでいようが、俺が気にする事じゃねぇ。だがな、近藤さんや新選組に仇を為すようなことを企んでいやがるとしたら、俺はあんたを許さねぇ。」
「土方君、いつまであの子を傍に置いておくつもりなのだ? あの子は桂の情人であることくらい、当分察しはついているだろう?」
伊東は挑戦的な目で歳三を見ると、彼はそっぽを向いた。
「千尋には二重間者をやって貰う。あいつは途中で誰かさんみたいに敵に寝返ったりはしねぇから、安心しろ。」
歳三はもう伊東とは話したくないというように、休息所からさっさと出て行った。
「ふん、なかなか手強いな・・まぁ、あの男にはわたしが考えている事がお見通しと言う訳か。」
伊東はそうほくそ笑むと、猪口に注がれた酒を舐めて笑った。
「総司、身体の具合はどうだ?」
「少し良くなりました。」
屯所の奥―総司が隔離された部屋に歳三が入ると、部屋の主はそう言ってにっこりと自分に微笑んでくれた。
「なぁ総司、江戸に戻りたくはねぇか?」
「え?」
突然恋人からそんな言葉を言われ、総司は驚愕の表情を浮かべながら歳三を見た。
「今の身体で隊務は無理だ。暫く江戸に帰って養生した方が・・」
「わたしが、邪魔になったの?」
総司はそう言って、歳三を睨んだ。
「わたしが邪魔になったから、江戸に帰すの?」
「違う、そうじゃねぇ。お前ぇには少しでも長く生きていて欲しいから・・」
「土方さんはわたしを捨てるんだ、あの時みたいに!」
総司の悲鳴とも思えるような声で、歳三の言葉は途中で遮られた。
「総司・・」
まだ上洛したばかりの頃、歳三は総司に江戸に帰るよう勧めたことがあった。
だが総司は頑として京に留まる事を望み、新選組一番隊組長としてその名を轟かせてきた。
しかし労咳に罹った彼の身体は痩せ細り、刀を握るどころか、起き上がることすらままならない。
そんな恋人の姿を歳三は見ていられなかった。
せめて家族が居る江戸へ一旦総司を帰し、快復したら京に呼び戻すつもりでいた。
「俺ぁ、お前ぇの事が心配なんだ。お前ぇがこのままいなくなっちまうのかと思うと・・」
「土方さんは優しいんですね。」
総司はそう言うと、歳三に抱きついた。
すっかり痩せ細った背中は、あの頃より一回り小さくなったように見えた。
「でもその優しさが、わたしを傷つけるんですよ。」
「総司・・」
「わたしをっ、捨てないで!」
総司は堪え切れず、涙を流し歳三に取り縋った。
「総司、俺はお前を捨てない・・必ず助けてやるから。」
しゃくり上げる恋人の背中を優しく撫でながら、歳三はそう言って彼を宥めた。
“あいつはもう、あと2年しかもたねぇよ。”
総司を他の者と隔離する事を歳三が決めた時、松本医師から彼の余命を始めて聞かされた時、彼は身が凍るような思いだった。
(絶対に、総司(こいつ)を助けてみせる。)
たとえ運命の荒波が自分達を引き裂こうとも、決して総司の手を離さない―歳三は心の中でそう誓うと、彼の身体を一層強く抱き締めた。
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