1995年12月21日、京都。
「お願いします、何とか六千万、都合がつきませんでしょうか?」
「しつこい人やな、あんたも。そんな大金をあんたに貸せる訳ないやないか。わかったのなら、帰ってくれんか?」
その日、陽太郎(ようたろう)はコンクールで大賞を取った作文を父に見せようと彼の書斎に入ろうとした時、中から誰かが父と言い争う声が聞こえた。
「お父さん、どないしたん?」
「陽太郎、どないしたんや?」
「あんな、コンクールで僕、大賞とったんやで。」
「そうか、そらよかったなぁ。」
その時はじめて、陽太郎は父の前で俯いて立っている青年の姿に気づいた。
「お父さん、お客様?」
「お前には関係のない事や。」
父はそう言ってニッコリと自分に微笑んだが、その笑顔は何処か怖かった。
「あなたにもお子さんが居るんでしょう?そしたらわたしの気持ちが解る筈だ!」
「あんたに今六千万貸したかて、返ってくる保障がないやろ!さぁ、はよ去(い)んどくれやす!」
陽太郎は父が他人に向かって怒鳴っている姿を初めて見た。
「お父さん、あの人困ってはるんやったらお金貸したげたらええのに。」
「お金はな、むやみに人を貸すものと違う。陽太郎、お前にはその事を一番わかって欲しいんや。」
父はそう言うと、書斎から出て行った。
その日の夕食は、いつものように家族で楽しく食卓を囲み、陽太郎は作文を両親の前で読み上げた。
「ほんま、陽太郎はええ子やなぁ。」
「陽太郎、大きくなったら何になりたいんや?」
「まだわからへん。」
「そうか。まぁ焦ることはあらへん、じっくり決めたらええわ。」
父はそう言って自分に微笑むと、優しく頭を撫でてくれた。
思えばこの日の夜が、両親と最後に過ごした穏やかで優しい時間だったのかもしれない。
妙な物音に気づいたのは、夜中の1時半ごろだった。
トイレに行きたくてベッドから起きて部屋に出て、トイレに向かおうと両親の寝室の前を通り過ぎようとした時、誰かがそこから駆けだしていったのを見た。
「お父さん、お母さん?」
両親の誰かがトイレに立ったのだと思い、彼らの寝室に入った途端、血の臭いが鼻をついた。
部屋の中が暗かったので電気を点けると、両親がベッドの上で血まみれになって息絶えている姿を見た。
「こりゃ、酷くやられたな・・」
「何でもこの家の8歳の一人息子が、両親の死体を見たそうや。」
数分後、左京区に住む資産家夫妻が何者かに殺害されたという通報を受け、警察が現場に駆け付けると、犯行現場である主寝室は血の海だった。
刑事の田辺亮輔(たなべりょうすけ)は一旦現場を出て目撃者であるこの家の長男・陽太郎に話を聞こうと彼の姿を探すと、彼は廊下の突き当たりで俯いて泣いていた。
「お父さん、お母さん・・」
「何も心配することあらへん、おっちゃんがお前のお父ちゃんとお母ちゃんを殺した奴を捕まえてやるさかい。」
亮輔はそう言うと、陽太郎を抱き締めた。
事件から数日後、陽太郎は祇園の置屋「美作(みまさか)」の女将・菊江(きくえ)に引き取られた。
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