『迷い込んでいきなり人に刃物を突き付けるのですか、貴殿の弟は?』
仁錫(イソク)はそう日本語で男に言うと、未だに自分の喉元に刃を突き付けている少年を睨んだ。
『朔之介、刀を収めよ。』
『ですが、兄上・・』
『兄の言う事が聞けぬのか?』
男に睨まれ、少年は渋々と刀を鞘に収めた。
『弟が無礼な事をして申し訳ありません。では我らはこれにて。』
男は少年の耳を引っ張ると、教坊の外へと出て行った。
「一体あの人達誰だったのかしら?」
「さぁ。それよりも姫様、そろそろお部屋に戻りましょうか。少し寒くなってきましたし。」
「そうね。」
椰娜(ユナ)が仁錫とともに部屋に入ると、そこには福姫(ボンヒ)が壁にもたれかかるようにして眠っていた。
椰娜はそっと布を彼女の上に掛けると、仁錫と向かいに腰を下ろした。
「あなたは、わたしの事を何か知っているの?」
「ええ、あなた様は・・」
仁錫が次の言葉を継ごうと口を開こうとした時、部屋の扉が勢いよく開いた。
「椰娜、大変だ!」
部屋の中に入って来たのは、教坊の下働きである相吉(サンダル)だった。
「どうしたの、相吉?」
「尚俊(サンジュン)様がお役人に捕まった!」
「何ですって?」
相吉の言葉を聞いた椰娜の顔がさぁっと蒼褪めた。
「どうして、尚俊様がお役人に捕まったの?」
「椰娜、この前両班(リャンバン)の若様に説教したろ? どうやらその若様がその父親に泣きついたらしい。そいつが何かと理由をつけて尚俊様を捕まえたのさ。」
「何て事なの・・」
何の罪も犯していないというのに、尚俊は牢獄に入れられてしまった。
「わたしがその若様の父親とやらに話しに行ってくるわ。仁錫、付いてきてくれる?」
「はい。」
「お、俺も行くよ!」
椰娜と仁錫は相吉とともに、両班の“若様”・ムヒョンの家へと向かった。
「すいません、誰か居ませんか?」
椰娜が家の門を叩いても、一向に中から返事も、人が出てくる気配もなかった。
「どうやら、留守みたいだな。一旦出直そうぜ。」
「そうね。」
椰娜がそう言って門へと背を向けようとした時、中から人が出てきた。
「お前が、息子に説教をした上殴った童妓(トンギ)か?」
彼が振り向くと、そこには厳めしい顔をした中年の男が立っていた。
「この度は、あなたのご子息に手を上げてしまった事は申し訳ないと思っております。ですが、その事で罪なき者を捕え牢に繋ぐ事はなさらないでください。」
椰娜は男に土下座した。
「家の中へ入れ。お前の頼みは聞いてやろう。」
「ありがとうございます。」
パッと顔を輝かせた椰娜はさっと立ち上がり、男と共に家の中へと入った。
「俺達も行こう。」
相吉と仁錫が門の中へと入ろうとした時、男は彼らをじろりと睨みつけた。
「家の中に入れるのはお前だけだ。」
「そんな・・」
「大丈夫、話をつけてくるから。」
椰娜はそう言って、仁錫を見た。
「お気をつけて。」
「行ってくるわ。」
仁錫は心配そうな顔をして、門の中へと消えてゆく椰娜の背中を見送った。
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