「おかあさん、ただいま帰りました。」
「遅かったなぁ。」
「へぇ、吉田様に引き留められまして。」
椰娜(ユナ)がお座敷を終え置屋に帰ると、志乃が寝ずに彼の帰りを待っていた。
「そうか。吉田様は怖そうなお人やけど、優しいお方やさかいな。」
「ほんなら、もう休ませて貰います。」
「お休み。」
自分の部屋に入ると、そこには仁錫(イソク)の姿があった。
「どうしてここに?」
「おかあさんが、気心が知れた者同士なら、気を遣わずに済むだろうっておっしゃって。」
「そう。何だか教坊で過ごしたときに戻ったみたい。」
「そうですね。ベクニョ様たちはお元気でしょうか?」
「さぁ。でもあのベクニョ様ですもの、元気でやってると思うわ。」
故郷へ思いを馳せながら、椰娜と仁錫は眠りに就いた。
「ああ全く、あのゆなって子、気に入らんわ!うちを差し置いて、おかあさんの養女になるやなんて!」
一方、吉田に袖にされた春乃は自棄酒を呷り、椰娜への恨み言を吐いていた。
「お姐さん、少し飲みすぎと違いますか?もうその辺にしといたら・・」
「うちはまだまだ飲みたいんや、放っといてんか!」
そう言って管を巻く春乃に、店主はうんざりとした顔で彼女から遠ざかった。
「祇園一の芸妓が、なんでこんなところで油売ってんやろか。もっと他にやることがあるやろうに。」
「そないな事言ったらあかん。春乃はんはうちのお得意様なんかさかい。」
店主の呟きを聞いた彼の女房が、そう言って彼の肩を肘で突いた。
「まだ酒が来てへんで!早く持ってきて!」
居丈高にそう自分に命じる春乃に、店主はカチンと来てしまった。
「春乃はん、もう飲みすぎやさかい、あんたには酒は出しまへん。」
「客の言うことが聞けへんというんか!」
白粉を塗った顔を怒りで赤くさせながら、春乃はそう叫ぶと、机ごとつまみや酒をひっくり返した。
「誰か警察呼んで来い!」
「さっさと酒出さんか~!」
泥酔した春乃は、怒りで見境なく店内の物を壊した。
「春乃さんねえさん、えらい遅いなぁ。」
「何かあったんやろか?」
春華と同期の舞妓がそう話していると、志乃が慌てて置屋から出て行った。
「どないしはったんやろうか、おかあさん。あないに血相変えて・・」
「大変や、春乃さんねえさんが警察に連れてかれた!」
志乃と入れ違いに一人の舞妓が置屋に戻ってきて、とんでもないことを皆に話した。
「春乃さんねえさんが警察やて!?いったいどないしてそないなことに?」
「さぁ。何でも行きつけの飲み屋で暴れたらしいわ。」
「飲み屋で暴れはった?あの春乃ねえさんが?想像できひんわ。」
舞妓達は顔を見合わせながら、自分達の部屋へと戻っていった。
「春乃さんねえさんが警察に?」
「そのようです。飲み屋で暴れる芸妓なんて、聞いたことがありませんよ。」
仁錫は呆れたように大げさに溜息を吐くと、柘植の櫛で髪を梳いた。
「一体何があったのかしら?」
「それよりも姫様、今日は舞の稽古が早いですから、急いで支度いたしませんと。」
「そうね。」
今は他人の事など心配してられない。
まだ馴染みのないこの世界で、どう生き抜いてゆくのかを考えなければ。
「あんた、何てことをしてくれたんや!」
「すいまへん、おかあさん。うちは・・」
「言い訳なんて聞きとうないわ!あんたは今日限りで勘当や!」
志乃はそう言うと、警察署から出て行った。
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Last updated
2013.09.03 21:31:14
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