荻野千尋は、帝王切開で4200グラムの男児を出産した。
「あの子はかなり危険な状態が続いてねぇ、あの子が赤ん坊に会えたのは、出産してから一週間後だったよ。」
「そうですか・・」
「これが、千尋の赤ん坊の写真たい。」
瑛子はそう言うと、スマートフォンの待ち受け画面を歳三と近藤に見せた。
そこには、笑顔で赤ん坊を抱いている千尋の姿が写っていた。
「暫くうちが千尋の実の母親に代わって、あの子の産後の手伝いをしとったけど、あの子は産後の肥立ちが悪くてねぇ・・いつも寝込んどったよ。」
「大変だったでしょう、赤ん坊の世話は?」
「まぁね。赤ん坊はこっちの都合なんか何も考えんと泣くからねぇ。千尋は母乳の出が良かったから、赤ん坊の乳の心配はなかったけど。」
瑛子はそう言って溜息を吐くと、スコッチをまた一口飲んだ。
「あの頃は幸せやったねぇ。店が休みの日には、千尋と赤ん坊とあたしの三人で、近所の公園にサンドイッチを持って行ってはピクニックしとったねぇ。」
「へぇ、そうだったんですか・・」
「けど、千尋が産んだ赤ん坊は一歳の誕生日を迎える前に死んでしもうたんよ。」
「どうして、赤ん坊は死んだんですか?」
「赤ん坊は心臓が悪くてねぇ、医者から一歳の誕生日を迎える事は出来んかもしれんって言われて・・千尋はその事を知って毎日赤ん坊を抱きながら泣いとったねぇ・・」
歳三の脳裏に、赤ん坊を抱きながら泣く荻野千尋の姿が浮かんだ。
「赤ん坊が死んだ時、千尋さんは・・」
「あの子は酷く取り乱していてねぇ・・お葬式のときなんか、赤ん坊が入っとる棺を何度も撫でて、“ああ、こんなに小さいんだぁ”って何度も呟いとったよ。」
「必死の思いで産んだのに、我が子に先立たれる事は母親にとって辛いだろうなぁ・・」
一児の父親である近藤はそう言うと、グラスの中に入った水を一口飲んだ。
「それからよ、あの子がおかしくなったのは。」
瑛子によると、我が子を亡くした千尋は、空のベビーカーを押しながら公園を散歩したり、スーパーに買い物に行ったりしていたという。
「あの子は、赤ん坊の死を受け入れられんかったんよ。空のベビーカーを押して、時々中にいる赤ん坊に向かって声掛けとった。」
空のベビーカーを押すことに虚しさを感じたのか、やがて千尋はそのベビーカーに赤ん坊の人形を乗せるようになった。
「毎日千尋は、人形と外出しとったねぇ。レストランで食事する時も、赤ん坊を子供用の椅子に座らせて・・」
それほど、我が子を亡くした千尋のショックは大きかったのだ。
「千尋さんが姿を消したのは、いつごろですか?」
「そうやねぇ・・赤ん坊が生きていたら二歳の誕生日を迎える頃やろうか。千尋はその日、赤ん坊のプレゼント買いに行って来るって言って部屋を出て行ったきり、そのまま帰って来んかったと。」
「わざわざ辛い事を思い出させてしまって、申し訳ありませんでした。」
「いいや、かえってあんたらに話をしてスッキリしたよ。今夜はうちの奢りやから、沢山飲みんしゃい。」
「すいません、我々は余り酒が強くないので・・」
「まぁ、そういうお客さんの為にチューハイ用意しとるから、心配は要りませんよ。」
「ありがとうございます。」
『シャンテ』から出た近藤と歳三は、千鳥足でホテルへと向かった。
「トシ、お前飲み過ぎじゃないか?」
「うるせぇなぁ、俺ぁ酔ってなんかねぇよ。」
歳三はそう言って部屋に入るなり、ベッドの上に大の字になって倒れた。
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