自分に向かって肉切り包丁を振り翳す男に、環は持っていた長剣で男の胸を突き刺した。
男は無言で肉切り包丁を持ったまま、床に倒れた。
『タマキ、大丈夫か?』
『はい。ルドルフ様、早くここから逃げましょう。』
環は男の胸に突き刺さった長剣を抜き、ルドルフと共に厨房から外へと出た。
『居たぞ、あっちだ!』
『逃がすな!』
環とルドルフが森の中を走っていると、遠くから追っ手の声が聞こえてきた。
二人が森を抜けると、そこは逃げ場がない断崖絶壁だった。
『どうする、タマキ?』
『逃げるのが無理なら、戦うしかありませんね。』
『そうだな。』
互いに背中を預けたルドルフと環は、自分達の前に現れた追っ手を睨みつけた。
『タマキ、行くぞ!』
『はい!』
次々と襲い掛かる追っ手を長剣で倒しながらも、環は呼吸を乱さなかった。
『なかなかやりますね。』
自分が放った追っ手が力なく地面に倒れているのを見たハインツはそう言うと、ルドルフに銃口を向けた。
『昼間、貴方を殺そうと思ったのに、舞姫が邪魔をしたので失敗してしまいました。』
『わたしを昼間暗殺しようとしていたのは貴様か。』
『貴方付の侍従の中に、わたしが金で雇った間者が居ましてね。貴方の予定を逐一こちらに報告するように命じたのですよ。』
『そうか。中々の策士だな。』
『お褒め頂き有難うございます。皇太子様、貴方を殺すのは惜しいですね。ですが、この世界の為に貴方には犠牲になって貰わなければなりません。』
ハインツが引き金を引こうとした時、彼は胸に銃弾を受けて地面に倒れた。
『皇太子様、ご無事ですか!?』
『エルンスト、何故ここに?』
『この男の間者に、皇太子様の居場所を吐かせたのです。』
エルンストはそう言うと、まだ煙が立ち上っている銃を下ろしてルドルフ達の方へ駆け寄った。
『その間者は今何処に居る?』
『皇太子様の居場所を吐いた後、彼は毒を飲んで自害しました。』
『真実を闇の中へと葬ったのか・・貴様は優秀な部下を失くしたな。』
ルドルフは地面に倒れたハインツを冷たく見下ろしてそう言うと、彼は弱々しい笑みを浮かべた。
『わたしが死んでも、わたしの遺志を受け継いだ同志達が歴史を作る・・そして、貴方が大切にしていたものは崩壊する。』
『それは、どういう意味だ?』
『そんなことは、自分でお考えなさい。』
ハインツは口端を上げて笑うと、そのまま息絶えた。
二時間後、スコットランド・ヤードがハインツの屋敷を家宅捜索すると、屋敷の地下室から悪魔崇拝の儀式の生贄となった犠牲者達の遺体が発見された。
犠牲者達は皆、近隣の村に住む少年達だった。
ハインツの指示を受け、ウィーンで連続猟奇殺人を繰り返していた彼の部下二人は警察に逮捕され、事件は無事解決した。
だが、ルドルフはハインツが死に間際に残した言葉が気になって頭から離れなかった。
“わたしが死んでも、わたしの遺志を受け継いだ同志達が歴史を作る・・そして、貴方が大切にしていたものは崩壊する。”
『ルドルフ様、どうなさったのですか?』
『いや・・あいつが死に間際に遺した言葉が気になってな。』
『彼の言葉の何が、気になったのです?』
『あいつの遺志を継ぐ同志が、何処に居るのかが解らない。つまり、まだ油断できないという事だ。』
『そうですね。』
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