『お見合い?』
『あぁ。今朝父上から、皇太子としての義務を果たせと言われた。』
スイス宮にあるルドルフの部屋に呼び出された環は、彼の口から近々花嫁候補である王女に会いに、ベルギーへ行くことを告げられた。
『そうですか。』
『心配するな。結婚など形だけだ。』
見合いの話を聞いて環が沈んだ表情を浮かべている事に気づいたルドルフがそう言って彼にキスをしようとすると、彼はそれを拒んだ。
『その王女様とは、どのようなお方なのですか?』
『あのシャルロッテ叔母様の姪にあたるらしい。母上はシャルロッテ叔母様を大層嫌っておいでだったから、わたしの結婚には頑として反対しているそうだ。』
『皇妃様が?』
『まぁ、父上に見初められ、慣れない宮廷に入った母上からしてみれば、息子のわたしに同じ轍を踏ませたくないのだろう。』
ルドルフはそう言って溜息を吐くと、少し冷めたコーヒーを飲んだ。
『シャルロッテ様とは、どのような方だったのですか?』
『あぁ、お前がシャルロッテ叔母様の事を知らないのは無理ないか。父上の弟―わたしからすれば叔父のマクシミリアンは、フランス皇帝の後押しでメキシコ皇帝となったのだが、実際はフランス皇帝の操り人形だった。その上、孤立無援となったマクシミリアン叔父上は銃殺刑に処された。』
『そのような事があったのですね。それで、そのシャルロッテ様は今どちらに?』
『夫がメキシコで銃殺刑に処された後、シャルロッテ叔母様は正気を失って自分は未だにメキシコ皇后で、夫の帰りを律儀に待っているよ。まぁ、シャルロッテ叔母様が正気に戻ったとしても、実の弟を見殺しにした恨み言を父上に吐いていただろう。』
『皇妃様と、シャルロッテ様の関係は悪かったのですか?』
『ああ。シャルロッテ叔母様は、ベルギー王女という己の身分に誇りを持っていたし、山のように高い自尊心の源はそこから来ていた。それなのに、バイエルンの傍系王家出身である母上がオーストリア皇后という地位に居て、自分だけが格下の大公妃という地位に居るのが我慢ならなかった。あの気難しい母上は、義妹であるシャルロッテ叔母様を毛嫌いしていた。』
ルドルフの口から語られる皇帝夫妻とその弟夫婦との間にあった確執を静かに聞きながら、環は王家の家系図の複雑さに少し頭が混乱してきた。
『シャルロッテ様の姪御様という方が、ルドルフ様とお見合い為さるお方なのですね。』
『シャルロッテ叔母様の兄にあたるレオポルド2世には、三人の王女達が居てな。その上に一人の王子が居たが、不幸な事故で死んでしまったと聞いている。』
『そうですか・・その方の他に、花嫁候補となられる姫君様はいらっしゃられるのですか?』
『ザクゼン王女のマティルデが居る。彼女は絵画に造詣が深く、慈善活動に熱心らしい。百聞は一見に如(し)かずというし、結婚相手は慎重に選ぶつもりだ。』
ルドルフは一旦そう言葉を切ると、環の顎を軽く掴んで彼の唇を塞いだ。
『わたしは結婚しても、お前を離すつもりはない。それだけは憶えておけ。』
『はい・・』
『暫く会えないが、わたしが帰って来るまで我慢しろよ。』
ルドルフの言葉に赤面した環の姿を見て彼はクスクス笑いながら、閣議へと向かった。
『まぁた恋人と朝っぱらからイチャついていたのか?』
『そんなところだ。それよりも大公、わたしは暫くウィーンを留守にすることになった。』
『また何か変な事を企んでいるのか?』
『何を言う、見合いに行くだけだ。』
『見合いか・・お前もそろそろ身を固める時期になってきたか。』
『大公も、わたしが結婚する前にあのオペラ座の舞姫と結婚したらどうだ?』
ルドルフの言葉に、ヨハンは不機嫌な表情を浮かべて黙り込んだ。
『結婚は人生の墓場だと言うからな。結婚相手は慎重に選べよ、ルドルフ。』
『言われなくともわかっているさ。』
ベルギー・ブリュッセルのラーケン宮に於いて、ルドルフ皇太子はベルギー王国第二王女であり、シャルロッテの姪にあたるシュティファニーと見合いをした。
美人とは程遠い容姿をしている幼い王女の凡庸さに、ルドルフは惹かれ、王女もまた、美しいルドルフに一目惚れした。
『フランツ、この結婚はルドルフにはまだ早すぎるわ。』
『シシィ、これはルドルフが決めたことだ。』
『何か不吉な予感がするのよ。わたしには解るの。』
1880年3月7日、ルドルフ皇太子とシュティファニー王女との婚約が成立したことを宮廷が公式に発表すると、密かに皇太子に恋い焦がれていた貴族の令嬢達が一斉に自棄酒を呷ったという噂がウィーンの街に流れた。
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