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助産婦じょじょのアフリカ日記

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2005/12/17
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カテゴリ:助産婦じょじょ
写真展の準備を進めつつ、最近また「じょじょさんは、すごい」「必死でがんばっている」の言葉を目にしました。

今までも何回か、このような言葉に関して考えてきました。

何気に心配なこと

悩んだ末のある結論


そして、どうしても見逃せない言葉がありました。
あるところへチラシを持って行った時のことです。
高橋さんのことを説明しつつチラシを出したときの相手の言葉。

「ああ、この高橋さんっていう人のために、ボランティアで写真展を開くんだ」

その瞬間、頭の中で私はちゃぶ台を10卓ほどひっくり返しました。


( ̄△ ̄;)ムッ! ( ̄ ̄;) ムカッ! (▼ヘ▼#) ムカァ!! (▼皿▼#) カチーン!!


「いえ、違います。」「私は十数年前、このリベリアで助産婦をしていました」「そのときの赤ちゃんが少年兵となって戦っているのです」「それを少しでも多くの人に理解していただきたいのです」「たまたま高橋さんがリベリアの取材をしているから使うわけです」

私の言葉に圧倒されたのか、相手の方は「そうか、昔、貴方がそんなことをしていたなんて知らなかったよ」と、答えてくれました。


「戦争が終わっても」の写真展に多くの方々が協力してくださっています。
それぞれの方が写真展へ参加される動機はさまざまだと思います。



突然ですが、看護の話しをします。


ある調査で、アメリカの看護者の90%はアダルトチルドレン(AC)という報告があります。
ACは、常に「自分はいらない子」「自分は生まれなかった方が良かった」という思いに駆られます。

その思いに対して、容易に人から感謝を頂くことができる看護師の仕事は魅力的なものです。
ACであった人は、人から「ありがとう」と言ってもらえることで、自分の存在価値を見出すことができるのです。

「私は人の痛みがわからない人間です」と日記に書いたことがあります。

そんな私でも、学習から得た知識で多くの人から感謝され、時には尊敬してもらえるのです。


「感謝されるために看護をする」
それは、うわべの看護です。



うわべだけの看護は、『ありがとう』の言葉を求めます。

何か患者さんへケアを行った時、「ありがとう」の言葉が無ければ「うわべだけの看護師」は、とたんに不安になります。

患者さんはたいがい、「ありがとう」と言ってくださいます。
それを「うわべだけの看護者」は「私は、いい看護者だ」と、勘違いします。


とある、看護の本に「看護者の至上の喜びは『感謝されること』」とありました。

「真の看護師」は、相手の方(多くは患者さん)が、本当に良くなることに喜びを見出します。

それには、「ありがとう」の言葉は要らないのです。

科学的な判断を行い、自分の看護を客観的に評価すれば、自分の行なった看護が適切であったかどうか、明確になります。


その上で、看護の対象の人々が回復すれば、それが「自分の喜び」となるのです。
それが「真に感謝される、看護者の至上の喜び」であると私は理解しています。



禁煙が必要な患者さんがいるとします。
看護者は「タバコを止めましょう」と説得します。

何度説明しても患者さんはタバコを止めない時、うわべだけの看護者は、逆に患者さんを恨みます。
「こんなに言っているのに、わかってくれない」と。

真に相手のことを思いやる看護者は、禁煙が必要と考えるなら、なんとしてでも禁煙の方法を探します。
たとえ、相手に嫌われそうになっても。




リベリアの写真展に話しを戻します。

私は、私のために写真展を開きます。
どうか、私のことを「素晴しい」と思わないでください。

私はこの十数年間、リベリアで起こっていることを知りながら、何も活動はしていないのです。

たまたま、ここで機会があったから、できることをしているだけです。

いつの日か、リベリアに安定と子ども達の普通の生活が戻った日に、皆さんとともに喜び合いましょう。

皆さんから、認めていただけることはとてもうれしく、光栄なことですが、それに甘んじてはいけない、と自分を戒めています。
活動は始まったばかり、また、大海の一滴のようなものです。







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Last updated  2005/12/17 11:39:15 PM
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