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カテゴリ:助産婦じょじょ
写真展の準備を進めつつ、最近また「じょじょさんは、すごい」「必死でがんばっている」の言葉を目にしました。
今までも何回か、このような言葉に関して考えてきました。 何気に心配なこと 悩んだ末のある結論 そして、どうしても見逃せない言葉がありました。 あるところへチラシを持って行った時のことです。 高橋さんのことを説明しつつチラシを出したときの相手の言葉。 「ああ、この高橋さんっていう人のために、ボランティアで写真展を開くんだ」 その瞬間、頭の中で私はちゃぶ台を10卓ほどひっくり返しました。 ( ̄△ ̄;)ムッ! ( ̄ ̄;) ムカッ! (▼ヘ▼#) ムカァ!! (▼皿▼#) カチーン!! 「いえ、違います。」「私は十数年前、このリベリアで助産婦をしていました」「そのときの赤ちゃんが少年兵となって戦っているのです」「それを少しでも多くの人に理解していただきたいのです」「たまたま高橋さんがリベリアの取材をしているから使うわけです」 私の言葉に圧倒されたのか、相手の方は「そうか、昔、貴方がそんなことをしていたなんて知らなかったよ」と、答えてくれました。 「戦争が終わっても」の写真展に多くの方々が協力してくださっています。 それぞれの方が写真展へ参加される動機はさまざまだと思います。 突然ですが、看護の話しをします。 ある調査で、アメリカの看護者の90%はアダルトチルドレン(AC)という報告があります。 ACは、常に「自分はいらない子」「自分は生まれなかった方が良かった」という思いに駆られます。 その思いに対して、容易に人から感謝を頂くことができる看護師の仕事は魅力的なものです。 ACであった人は、人から「ありがとう」と言ってもらえることで、自分の存在価値を見出すことができるのです。 「私は人の痛みがわからない人間です」と日記に書いたことがあります。 そんな私でも、学習から得た知識で多くの人から感謝され、時には尊敬してもらえるのです。 「感謝されるために看護をする」 それは、うわべの看護です。 うわべだけの看護は、『ありがとう』の言葉を求めます。 何か患者さんへケアを行った時、「ありがとう」の言葉が無ければ「うわべだけの看護師」は、とたんに不安になります。 患者さんはたいがい、「ありがとう」と言ってくださいます。 それを「うわべだけの看護者」は「私は、いい看護者だ」と、勘違いします。 とある、看護の本に「看護者の至上の喜びは『感謝されること』」とありました。 「真の看護師」は、相手の方(多くは患者さん)が、本当に良くなることに喜びを見出します。 それには、「ありがとう」の言葉は要らないのです。 科学的な判断を行い、自分の看護を客観的に評価すれば、自分の行なった看護が適切であったかどうか、明確になります。 その上で、看護の対象の人々が回復すれば、それが「自分の喜び」となるのです。 それが「真に感謝される、看護者の至上の喜び」であると私は理解しています。 禁煙が必要な患者さんがいるとします。 看護者は「タバコを止めましょう」と説得します。 何度説明しても患者さんはタバコを止めない時、うわべだけの看護者は、逆に患者さんを恨みます。 「こんなに言っているのに、わかってくれない」と。 真に相手のことを思いやる看護者は、禁煙が必要と考えるなら、なんとしてでも禁煙の方法を探します。 たとえ、相手に嫌われそうになっても。 リベリアの写真展に話しを戻します。 私は、私のために写真展を開きます。 どうか、私のことを「素晴しい」と思わないでください。 私はこの十数年間、リベリアで起こっていることを知りながら、何も活動はしていないのです。 たまたま、ここで機会があったから、できることをしているだけです。 いつの日か、リベリアに安定と子ども達の普通の生活が戻った日に、皆さんとともに喜び合いましょう。 皆さんから、認めていただけることはとてもうれしく、光栄なことですが、それに甘んじてはいけない、と自分を戒めています。 活動は始まったばかり、また、大海の一滴のようなものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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vivi-anさん
>jojoさん、リベリアに平和が戻ったら >私を連れて行ってくださいね! lets`go!!案内しますよ。 早く実現したいですね! それまで、元気でいないと! フェスタ、お帰りなさい! 自分の日記も書かないで、まわっているのですね。 お疲れではないですか? (2005/12/18 12:30:43 AM)
jojo@jojoさん
>vivi-anさん >lets`go!!案内しますよ。 >早く実現したいですね! >それまで、元気でいないと! やっぱり、そんなに先になりますか‥ 足腰が弱らないようにしないといけませんね(笑) >フェスタ、お帰りなさい! >自分の日記も書かないで、まわっているのですね。 >お疲れではないですか? 書きながら巡回中です(笑) (2005/12/18 12:37:40 AM)
行動を起こす時、必ず壁にぶつかります。私もそうです。凄く悩みます。辛い言葉も聞きます。
自分が意図していないような事を勝手に思われる事もあります。 でも、自分がしたいからする、自分の為にする。これが分かっているなら良いじゃないですか? そして、じょじょさんがしている行動はやっぱり素晴らしいし凄い事なんです。 これは認めて下さいな。 やりたい事を行動に起こせる人ってどの位いるんでしょうか? どちらかというと私も怖がって最初の一歩を踏み出せない人間です。 でも、そんな自分を変えたくって今、四苦八苦しながらボランティアをやっています。 私だって毎日これで良かったのか?と自問自答しているの。 でも、自分がやりたい事なんだ、そして、自分がやりたいからだ!って理解できたら思い切ってガンガン進む。 それで良いかな?って。 しないで後悔するなら、とりあえず【やっちゃえ~!】です。 私はじょじょさん、やっぱり偉いな~、凄いな~って思います。 私が思うんだからそれで良いよね? 常に自分を振り返る大切さを忘れないように、私も自分がすべき事頑張ってやって行きます。 お互い頑張りましょう。 大海の一滴が無ければ、大海にはならない。そんな気がします。 (2005/12/18 12:54:35 AM)
jojoさんが、なぜ写真展を開こうと思ったのか、Blogにお邪魔していたので、よく分かっている気持ちになっています。
たぶん、ここにいらしている多くの方はそうでしょうね。 一番伝えたいことは、「戦争が終わっても、辛い思いをしている子供たちがリベリアにはいるということ」でしょう? 人から立派だと褒められるのか、高橋さんのためといわれるのか、それは本質的なことではないと思います。 表現者として優れた高橋さんの写真を通して、リベリアの現実を伝えること、それこそこの写真展の意義なんじゃないかなーと思います。 (2005/12/18 01:01:56 AM)
シュナ1557さん
>私はじょじょさん、やっぱり偉いな~、凄いな~って思います。 >私が思うんだからそれで良いよね? ・・・そうですね・・・ 思ってくださるものを、止めろとまではいえない。 十数年間、リベリアに何もしてこなかった自分への自責の念もあるのだと思うのです。 そんな自分は、まったくたいしたものではない!という気持ちです。 (2005/12/18 01:10:48 AM)
salut_chloeさん
>jojoさんが、なぜ写真展を開こうと思ったのか、Blogにお邪魔していたので、よく分かっている気持ちになっています。 もちろん、salut_chloeさんはある部分、私よりこの写真展の意義を理解していらっしゃると感じることがあります。 >人から立派だと褒められるのか、高橋さんのためといわれるのか、それは本質的なことではないと思います。 そうなんですよね。 ダイレクトに、「高橋さんのため」なんていわれたもので、驚いたり、憤りを感じてしまったのです。 しかし、こんな反応を知ることができるのも、チラシを手で配っているからですね。 >表現者として優れた高橋さんの写真を通して、リベリアの現実を伝えること、それこそこの写真展の意義なんじゃないかなーと思います。 そうなんです。 高橋さんの写真があったからこそ、何年も何もしなかった私が、動き始めたのです。 (2005/12/18 01:14:04 AM)
なにはともあれ、jojoさんが行動に出たことでリベリアの現実が知ってもらえるのだから意義のある行動だと思います☆
思うのと行動に移すのって天と地ほどの差があると思いますもん。 少しでも子どもが安心して暮せる土地が増えればいいですね☆ (2005/12/18 01:18:48 PM)
看護のところではなぜだか私、ホントに戒められている感じがしながら読んでいました。私はよくあの検査をするとACになってしまいます。
私のしていたことはうわべだったのかもしれないなぁと思いつつ、でも必死にこの子を生きて帰すことが私の責任だと思いながら必死でやっていたこと、どうしても気になる患者様がいるから声を掛けたこと、いろいろ走馬灯のように駆け巡りました(調子は悪くなりませんでしたので大丈夫です) 私は自己満足するためにもしかしたら看護師・助産師をしていたのかもしれないと思って反省しております。 (2005/12/18 04:00:28 PM)
あんず3251さん
>なにはともあれ、jojoさんが行動に出たことでリベリアの現実が知ってもらえるのだから意義のある行動だと思います☆ >思うのと行動に移すのって天と地ほどの差があると思いますもん。 >少しでも子どもが安心して暮せる土地が増えればいいですね☆ ----- いつも、ありがとう! 子どもや力の弱いものが、大切にされる場所が、幸せな場所でしょうね。 体力のあるもの、元気なものだけが大手を振って歩ける社会にはなってほしくないです。 (2005/12/18 04:54:42 PM)
NAMUNYAKさん
>はやく >リベリアの子供達に、戦火に巻き込まれた子供達に、 >穏やかな日がくることを祈っています。 ----- ありがとうございます。 いつのことでしょうね。 その日まで、見守りたいと思っています。 生きているかなあああ? (2005/12/18 04:55:15 PM)
機械犬♪さん
>看護のところではなぜだか私、ホントに戒められている感じがしながら読んでいました。私はよくあの検査をするとACになってしまいます。 >私のしていたことはうわべだったのかもしれないなぁと思いつつ、でも必死にこの子を生きて帰すことが私の責任だと思いながら必死でやっていたこと、どうしても気になる患者様がいるから声を掛けたこと、いろいろ走馬灯のように駆け巡りました(調子は悪くなりませんでしたので大丈夫です) >私は自己満足するためにもしかしたら看護師・助産師をしていたのかもしれないと思って反省しております。 ----- 私が想像するに、多くの看護者が「自己満足」からケアをしていると思います。 しかし、その中から「真の看護の喜び」を見出し、いつの日か「うわべ」ではない看護ができるようになると思うのです。 それは、時間もかかるだろうし、経験も必要だと思います。 その経験っていうのは、臨床でも得ることがあるし、また、毎日の生活も大切だと思うのです。 今、私たちが悩んでいること、戸惑っていること、これら全てが大切なのだと思うのです。 だから、生きていくこと、何とか生き残ることが大切なのだと思うのです。 (2005/12/18 04:58:12 PM)
なんだか真の看護の話を聞いていると母を思い出します
せこい私は家族にさえ感謝を求めてしまいます 感謝を求めれば、感謝されなかった時は腹立たしい思いに駆られます 良いことをしていても、自分はこんな良いことをしているんだと思ってしまう自分が情けないです 内申を上げる為に嫌々ボランティアをしているのとなんら変わりが無い様に思います だけど、無償の愛を捧げられる様に子どもに鍛えてもらいます うまくいえなくて、意味不明ですみません いつの日か、リベリアに安定と子ども達の普通の生活が戻り、じょじょさんと喜び合える日が来ることを願います (2005/12/18 05:40:15 PM)
キラたらさん
>なんだか真の看護の話を聞いていると母を思い出します >せこい私は家族にさえ感謝を求めてしまいます >感謝を求めれば、感謝されなかった時は腹立たしい思いに駆られます >良いことをしていても、自分はこんな良いことをしているんだと思ってしまう自分が情けないです >内申を上げる為に嫌々ボランティアをしているのとなんら変わりが無い様に思います >だけど、無償の愛を捧げられる様に子どもに鍛えてもらいます >うまくいえなくて、意味不明ですみません なんとなくわかります。 私も、感謝の言葉を頂かないと不安になるほうだから。 でも、それではいけないと自分を省みて、「自分が本当にやりたいこと」「本当に必要なこと」ができるようになりたいと願っています。 でも、まだできないのですよ。 >いつの日か、リベリアに安定と子ども達の普通の生活が戻り、じょじょさんと喜び合える日が来ることを願います 一度戦争を始めてしまうと、復興には何年もかかりますね。 戦争は絶対に始めていはいけないと思います。 (2005/12/18 07:06:43 PM)
私も最近素敵なイベントの主催に変わらせていただき、
日常の自分を知らない、イベントを通じての私しかしらない人たちから、 「輝いてるね!」「素敵だね!」 そんな言葉をいただきました。 そして始めはその言葉がとても心ぐるしかった。 なぜって? 自分では、イベントに関わっている時の とても意識の高い、モチベーションの高い、 行動力のある自分が、 日常生活では息を潜めがちであることを わかっているから。 だから、私の一部分をほめていただくことが なんだかうれしい反面、だましているような気分になることがありました。 でも、 今は違います。 日常の忙しさの中でもがいている自分も自分。 イベントで心から笑顔になれている、 動きたい!と感じたらすぐに動ける自分も自分。 そしてそんな自分を日常の自分に取り込もうと している自分も自分。 どこにも嘘はない。 そう思っています。 だから、人からどう思われよう(よい評価も悪い評価も)と、 その部分(全ての自分は自分だということ)は揺るがないものだと思っています。 そう考えるようにしたら、 「いい笑顔だね!」とか 「素敵だね!」とか 今までは心から喜べなかった言葉が めっちゃめちゃ喜べるようになりました。 幸せ倍増!!(^^) (2005/12/19 06:39:41 PM)
cozy_coronaさん
幸せ倍増!!素敵です。 その幸せがどんどん広がるのでしょうね。 この写真展に関していえば、自分がしていることはあまりにもささやかで、それが人からどんな風に見られようと、リベリアが安定しなくては私の心は落ち着かないのです。 自分が「何かしている」充足感はあるのですが、本当の満足は得られません。 リベリアへもう一度行かなくては、結論はそこになってしまいます。 (2005/12/20 11:41:49 PM)
お久しぶりです!
まとめ読みさせていただきました。 自分の為、それがなくちゃ本当には頑張れないしやり遂げられない。 素直にそう思えるとまだまだ自分がやれる事も色々見えてくるのですよね。 また新たなパワーを得て力強く進めますね(^O^) (2005/12/22 09:40:35 AM)
キャラメル☆ラテさん
>お久しぶりです! >まとめ読みさせていただきました。 >自分の為、それがなくちゃ本当には頑張れないしやり遂げられない。 >素直にそう思えるとまだまだ自分がやれる事も色々見えてくるのですよね。 >また新たなパワーを得て力強く進めますね(^O^) ----- 「自分のため」なのですが、私が満足できるためには、リベリアが安定しなければならないと感じるのです。 こうして、何か活動していても、リベリアのためにならないのなら意味がないような気がしてしまう。 きっと、何か役に立っているんだ、と思うしかないのかもしれません。 (2005/12/22 05:09:04 PM) |