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2022/09/01
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カテゴリ:地震



99年前の今日この時刻、東京は猛火に包まれ、両国被服廠跡の広場を火災旋風が蹂躙していたことだろう。
長い間被服廠跡の大惨事は前線通過に伴う旋風だと言われていた。
今日、火災旋風と呼ばれる、火災による上昇気流と横風の相互作用と看破したのは、気象研究所の相馬清二博士だった。その相馬博士をしても、実験による再現は困難を極めた。

2005年、あるTV局から火災旋風の実験をしてほしいと私のところに依頼があった。私の手に余ると米国ケンタッキー大学の斎藤孝三博士に来日を依頼した。
三日間、つくばの建築研究所火災風洞で実験を行い、見事に火災旋風を発生させることに成功した。
その後、我々斉藤博士の弟子達は実験を繰り返し、条件さえそろえば屋外でもほぼ確実に火災旋風を発生させられるようになった。
それでもなお被服廠跡でおきた現象を十分に説明することはできない。現在私は改めて当時の手記や、​火災動態地図​を眺めながら解明の糸口を探している。

当時の手記を読み進めると、朝鮮人に関する記述が嫌でも目に入る。
私が直接見たわけではないから、断定的なことを書くわけには行かないが、私の祖父が経験したことを、何かに残しておくことも私の使命のような気がする。
祖父は仙台に住んでいた。震源が相模湾であったため北部の被害はそれほど大きくはなく、数日後には東北本線は運行を再開していたらしい。

祖父は東京にいる親戚が心配で、さっそく上京した。東京を歩き回っていた時、自警団に呼び止められた。髭を延ばし、禿げ頭で異形の祖父は、普通の日本人には見えなかったのかもしれない。朝鮮系というより中国系のような気がするのだが。

いきなりの恫喝に驚いた祖父は、尋問され「がぎぐげごと言ってみろ」と迫られ、しどろもどろになってしまったらしい。
とにかくやっとのことで解放されたとのこと。
殺されても被災者の一人で処理されてしまっていたかも知れない。

虐殺は捏造と言い張り、事実から目を背ける風潮に一言したかった。






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Last updated  2022/09/01 06:41:32 PM
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