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神様は目に見えないからこそ神である。仏壇の位牌は元々朝廷の官位を証明するものであった。伏見稲荷大社の物語…82話
823年の正月には初詣を兼ねて全国の村々から稲荷神社のお札をもらうための一行が来る。このお札とは木の板に「正一位 稲荷大明神」と書かれた物で家の神棚に祀る小さな物から祠の祀る大きな物まであった。これをご神体として持ち帰り好きな名前の○○稲荷神社と命名して神棚に祀れば立派な稲荷神社の末社の○○稲荷神社となる。 この木片の神様だが、日が経てば朽ちることになるからそれでは神様に失礼になるとこのお札を交換するためにまたお札をもらいにこなければならない。これはこれで稲荷神社としては商売にはなるが、こんなことで儲ける気はないと稲荷神社三代目の宮司の伊蔵は思っていた。そこで伊蔵はご神体を長く朽ちない石とか硬い唐木にするかと考えていた。 この唐木は紫檀、黒檀、白檀、果林という中国から輸入した硬い木材になる。この唐木はすでに朝廷でも使われていた。たとえば宮司の伊蔵の官位は「従七位上」だが、この官位を授かる儀式では黒檀の木で作った「位牌」というものに「従七位上 荷田伊蔵」と掘られたものをもらっていた。この位牌を伊蔵の自宅の神棚に祀っていた。つまり、位牌とは官位を証明する証書でもあった。ちなみにこれが後の鎌倉時代から仏壇の位牌(亡くなった人の戒名、または法名を記すもの)となり庶民にも大流行していた。 しかし、これでは貧しい農民には手がでないと考えた伊蔵は、稲荷神社で授与する「お札」とは稲荷神社から神をその地域の○○神社まで送り届ける神輿であるという話を信者に広めていた。つまり、このお札とは神輿であって神がその○○稲荷神社まで送り届ける役割であってその後はもうそこには神が鎮座している。その祠の中がたとえ空間であろうともそこには神がいるということになる。そしてさらに信者に「神様は目に見えないからこそ神である」ということを力説していた。 この伊蔵が言った「神は目に見えない」に大反発をしたのが京都の仏教会に奈良の仏教会であった。元々この時代は神社も寺もそんなに分け目はなく同じ宗教として共存共栄してきた。しかし、伊蔵のいった言葉には仏教の「目に見える仏像」信仰とは正反対のことを言っていることになるからだ。たとえば奈良の大仏は目に見える信仰の代表格でもあり、そしてどの寺にもご本尊という目に見える仏さんがいたからだ。 これに対して伊蔵も反論をしている。稲荷神社の御神体は稲荷山の山そのものでこれは見えている。大昔からの太陽信仰もこれも目に見えている。ただ、分祀する場合にはご神体てある山を削って分祀をできないから木のお札を授与している。これも目に見える物だが、これは元をただせば木の切れ端であって神そのものではない。これと同じで仏教の仏像も元は木であって仏ではない。 そしてこの板切れ、木の彫刻を神や仏に変身させる力というのも宮司にも坊主にもない。ましてや石の墓を拝んで魂を入れたり抜いたりするのは科学的にも無理な話になる。しかし、それを信じるのは人の心であるが、その心なんてものも人の目には見えない。たしかに拝む目標としてそこに仏像や墓があれば拝みやすくはなる。また稲荷神社の赤い鳥居をくぐり社殿を拝むというのもこれと同じになる。つまり、この神も仏なんていうものをこの世で誰1人として見たものはいないからこそ、私は「神様は目に見えないからこそ神様である」といったのです。 この伊蔵の反論にこれまた怒った京都の仏教会は嵯峨天皇に伊蔵を処分してほしいという直訴をしていた。天皇は伊蔵を呼んで、 「これ伊蔵よ!たしかにお主のいうことは科学的だが、それはそれとしてあまり坊主と喧嘩するな」 「はい、恐れ入ります」 「しかし、仏教にも色々な宗派があり、これまた神社にも様々な考え方があるが、この考え方の違いで論争するのはいいが、これで喧嘩をすれば悲惨な宗教戦争から権力争いの戦にもなる。ここは坊主より度量のある伊蔵が折れてほしい」 「はい、それでは京都仏教会と奈良仏教会に詫びの手紙を差し出します」 「そか、最近の観光寺院というのは庭の紅葉を見せるだけで町民から安くない拝観料を取ってはいるが、伊蔵がいう庶民が困らないように「神様は見えないからこそ神であって、たとえ祠の中は空気だけでも願いが叶う」という教えは予も支持をする」 この稲荷神社と仏教会の論争事件はまたたくのまに全国に広がっていた。そして伊蔵が大人の判断をして仏教会にわび状を入れたことには町民どころか貴族の官女、侍女までが寺側を罵り、伊蔵を褒めていた。そしてこれらは寺への抗議の意味も込めて貴族恒例の初詣の寺参りをやめて各神社に初詣を変更していた。 当時の寺というのは皇族や貴族からの手厚い信仰がなければ経営は難しかった。どの寺にも○○宮、○○様寄進の門とか本堂というのがあったからだ。もちろんそれまでの初詣は先祖の墓に参るというのが最大の目標だったので墓がある寺だったが、この事件があってからは墓参りと初詣が分離して初詣は神社という歴史がここから始まっていた。このことに大慌てした仏教会は天皇に伊蔵との和解を申し入れていた。 その和解の申し入れを伊蔵に報告をしていた。天皇は、 「ほい、伊蔵よ…またお主のパフオーマンスが当たったが、作戦通りか?」 「いえ、それは天皇…間違いで、天皇のお力です」 「そか、寺の坊主たちは庶民の生活などに見向きもせず、貴族との癒着に頭をつかっていたが、今回のことで少しは反省するだろう」 「はい、しかし、今回の作戦は天皇が考えたことですから…感謝しています」 「そか、お主と予の目に見えない連携プレーはお主のいう「神様は目に見えないからこそ神である」ということになるのお~ホホホ」 恒例の元旦初詣、この神社の初詣客は毎年増えているような気がします。参拝できる場所が一か所だからか参道の一の鳥居まで長く~並んでいました。新しく「菅原道真の産湯の井」というものが再現されている。 お笑いコラム…「伏見稲荷大社」の物語も80話にもなりました。最初の1話は「吉祥院天満宮・政所公園の白狐」これになります この コラムに関するご意見等は「音川伊奈利の掲示板」にお書きください。HNは必ず書いてネ、 新電子書籍…このブログの記事をまとめた無料の書籍になります。 「伏見稲荷大社の物語・嵯峨天皇と稲荷神社 73話…更新随時」 http://p.booklog.jp/book/108339/read 「京都歴史裏のコラム・吉祥院天満宮・政所公園の白狐、北政所御墳墓、吉祥院稲荷・キュウリの糠漬け」 http://plaza.rakuten.co.jp/kyoto24/diary/201607090000/
京聯、破産手続きへ、運転手・京聯タクシー倒産、160名解雇・(京聯自動車が破綻、8月29日) http://plaza.rakuten.co.jp/kyoto24/diary/201504020000/?scid=su_369 無料の電子書籍 長編小説「トラック3姉妹・ダンプ姉ちゃん理絵」...1部(31話) http://p.booklog.jp/book/103886/read http://p.booklog.jp/book/108339/read 無料の電子書籍4冊できました。それぞれの題名で検索もできますから読んでください。 http://p.booklog.jp/book/103886/read お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年01月03日 07時20分34秒
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