カテゴリ:もったいない学会
電気が足りないとか巷では騒いでいますが、
うかうかとそんなものに頼りすぎていたのが不覚というものでしょう。 電気は眼には見えないが、 コンセントにプラグを突っ込めば湯水のように使えると錯覚させられてきた。 ところが、これはとても危うい砂の上に立っていたようだ。 東京湾に面するはめ殺し窓の高層マンション。 冷暖房が止まれば、窓も開ける事ができないでは、 夏は熱中症で死ぬしかない。 50階もあっては、15階までは歩いて上れるが、それ以上はエレベーターが止まれば存在しないのと同じだ。 電気が使えなければ、トイレの水も流せない。 マンション価格は暴落しているようです。 当然でしょう。 電気について学校での授業ではオームの法則とかやるが、テストの為の授業で実際にはなんの役にも立たない。 指導している先生ですらほんとうに理解しているとは言いがたいのだ。 まあ、最低でも回路図が読めないようでは電気は使ってはいけないものではないだろうか? 電子工学専攻の学生ですら、回路図が読める方が少数派という現実には唖然とするのだ。 そんな程度で、電気は必要だから、原発は止められないとか騒いでみても、説得力がない。 電気が欲しければ自分で作るくらいの気概がないと騒いではだめだ。 日頃何も考えないで、電気のある生活にどっぷり浸かって、 いざとなると電力会社の都合の良い大本営発表に踊らされて右往左往するとか、 見られたものじゃない。 日本人なら恥を知った方がよい。 ・・何もしらないくせに知ったつもりになって、日頃偉そうな顔をしていて、 全てを失いかけると騒ぎだす無様な人類に未来はない。 僕も石井先生と同じで「実際主義」を採る。 実際に体験、実験してみない知識というものは役に立たないと思っているので、 片端からいじって回るので、つい遠回りをしてしまうが、実はこっちの方が近道なのだ。 ま、世の中のことは、エントロピーの低いエネルギー源がなければ何も回らないので、 それがなくなれば、終わる。 今日あるものが、明日もあるという保証はない。 石油ピークを過ぎれば原子力も使えなくなる。 もし人類が生き延びたいならば、基本的には時代を逆行せざるを得ないだろう。 「パイレーツ・オブ・カリビアン」を作った意図はそこにあるように見える。 オフィスにバッグの中にも最適なノートパイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉 文具/A6ノートB 1960年ころまでの日本国内のエネルギー自給率は60%以上だったのだが、 それは優良炭とはいえなくても、石炭が豊富にあったからだ。 まだまだ石炭はあるのに消えていったのは、 石油や原子力にエネルギー政策を転換させる内外の圧力があったからだ。 ということで、石油が減耗すれば、また石炭に戻らざるを得ない。 しかし、今までのように野方図には使えない。 その先には工業化社会を諦めざるを得ない時代が見えているからだ。 これは、唐津炭田から集めた石炭を積み出す港の写真だ。昭和の始め頃ではないかと思うが定かではない。 写真の左端に線路がカーブしているところに家並みがあるが、 家並みが始まる付近からの眺望の先には今は休止している火力発電所がある。 2基で80万kW、原発1基分に相当する。 九州各地にはこのような休止中の火発は他にも何カ所かあり、 原発が全て止まっても、燃料代が上がるだけで、停電はしない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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