小倉百人一首
第三のビール「オフの贅沢」のキャンペーンガールが岡山入りしていた。販促や祭りのイメージガールとして定着した感のあるマスコットガールは、○○小町とも呼ばれて人気を博しており、先週の備前焼まつりにも「備前焼小町」が愛嬌を振りまいていた。そもそも実在していたのか架空の人物であったのか分からないのが小野小町である。そんな伝説のひとの一首が入る小倉百人一首の歌碑が京都の嵐山・嵯峨野に建立されている。白州正子さんの『私の小倉百人一首』を捲っていて、選者・藤原定家の山荘が嵯峨野の小倉山付近にあったとは旅行から帰って知った。花のいろはうつりにけりないたずらに我身よにふるながめせしまに(小野小町)来ぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつつ(権中納言定家)白州さんはこの本を「六十の手習」だと記している。「六十の手習とは、六十歳に達して、新しくものをはじめることではない。若い時から手がけて来たことを、老年になって、最初からやり直すことをいうのだ」という。手がけて来たことの少ない古びた我身をながめ、残された猶予期間に身もこがれそうである。