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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

戦争の真実に迫る、カモメとウツボの、メクルメク戦史対談! 戦史の意外と驚きの連続に、首をかしげて、カモメとウツボは迷路をさまようばかり。
2020.05.29
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カテゴリ:海軍撃墜王列伝

【林喜重(はやし・よししげ)少佐■戦死・5機】

(カモメ)大正九年七月十七日生まれ。神奈川県鎌倉市出身。昭和十六年三月、海軍兵学校六九期卒業。十一月、少尉。第三七期飛行学生。昭和十七年八月、大分航空隊、戦闘機専修。昭和十八年一月、中尉。二月、戦闘機教程修了。

(ウツボ)昭和十八年、第二五一航空隊配属。六月七日、<ベルP-39「エアラコブラ」単発戦闘機>を一機初撃墜。九月、二五三航空隊分隊長。十一月、厚木航空隊配属。

(カモメ)昭和十九年三月、大尉、第三六一航空隊戦闘第四〇七飛行隊長。七月、戦闘四〇七飛行隊は第二二一航空隊に転属。十月、フィリピン進出。

(ウツボ)昭和十九年十二月、戦闘四〇七飛行隊は第三四三航空隊(剣部隊)に転属。昭和二十年一月末、松山に転属。装備機は<川西・紫電改・局地戦闘機>。

(カモメ)林喜重大尉は、部下から、「部下思いで、腕もいい、度胸もいい。この隊長との為ならと思える兄貴のような人」と慕われていました。

(ウツボ)昭和二十年四月二十日、<ボーイングB-29「スーパーフォートレス」(超空の要塞)四発大型戦略爆撃機>の撃墜法について、戦闘四〇七飛行隊長・林喜重大尉(海兵六九期)と戦闘第三〇一飛行隊長・菅野直大尉(海兵七〇期)が激論になった。

(カモメ)その結果、林喜重大尉が「明日、撃墜できなかったら、俺はもう帰って来ない」と宣言したのです。菅野直大尉は「そこまでする必要はないでしょう。運が悪くて墜ちない時は仕方がないじゃないですか。また次の機会にやればいいでしょう」と言いました。

(ウツボ)だが、林喜重大尉は「いや、君はそれで気が済むかもしれないが、俺は我慢できない。一機も墜とせなければ帰って来ない」と断言した。

(カモメ)第三四三航空隊飛行長・志賀淑雄少佐(海兵六二期)や第三四三航空隊司令・源田実大佐(海兵五二期)も「あまり考えすぎるな」と諭しました。

(ウツボ)翌四月二十一日、<ボーイングB-29「スーパーフォートレス」(超空の要塞)四発大型戦略爆撃機>が来襲した。林喜重大尉は出撃搭乗員から外されたが、林喜重大尉は自分で出撃表に名前を書き加えて<川西・紫電改・局地戦闘機>で出撃した。

(カモメ)林喜重大尉は清水俊信一等飛行兵曹と協同で<ボーイングB-29「スーパーフォートレス」(超空の要塞)四発大型戦略爆撃機>を一機撃墜しました。だが二人とも戦死したのですね。

(ウツボ)そうだね。林喜重大尉は増槽が落下しなかったが、そのまま攻撃した。だが、愛機も垂直尾翼とエンジンに被弾した。

(カモメ)愛機を巧みに操りながら、林喜重大尉は、鹿児島県阿久根市折口浜の海岸に不時着水を行いましたが、干潮時で砂浜に胴体着陸を行ったのです。

(ウツボ)その時、落下しなかった増槽が砂にのめり込み、機体は急制動がかかり、林喜重大尉は計器盤で頭を強打、頭蓋底骨折で戦死した。享年二十四歳。少佐に進級。戦死地点には石碑が建立されている。撃墜数は五機とされている。

【横山保(よこやま・たもつ)中佐・5機】

(カモメ)明治四十二年八月十一日生まれ。神奈川県横須賀市出身。昭和六年十一月、海軍兵学校五九期卒。

(ウツボ)昭和九年十一月、第二六期飛行学生。昭和十年七月、霞ケ浦航空隊飛行学生終了、戦闘機搭乗員。中尉。飯山航空隊、佐伯航空隊配属。

(カモメ)昭和十二年二月、大村航空隊分隊長。七月、支那事変勃発に伴い、第一三航空隊分隊長。九月十九日、南京第一次空襲に第一大隊の第三中隊長として、<三菱・九六式艦上戦闘機・単葉>で出撃、敵機と初空戦を行い、一機を撃墜(不確実)。

(ウツボ)その後、木更津航空隊、空母「蒼龍」(二〇二九五トン)戦闘機隊分隊長。大尉。大村航空隊分隊長。

(カモメ)昭和十五年六月、横須賀航空隊配属。七月、第一二航空隊分隊長。第一航空隊、第三航空隊、大村航空隊、第二〇四航空隊飛行隊長。

(ウツボ)昭和十八年五月、第一一航空艦隊参謀。九月、第二六航空戦隊参謀。昭和十九年三月、横須賀航空隊配属。六月、筑波航空隊飛行長。

(カモメ)昭和二十年五月、第二〇三航空隊飛行長。八月十五日、築城基地で終戦。中佐。撃墜機数は五機とされています。

(ウツボ)昭和二十九年、航空自衛隊発足と同時に入隊。航空自衛隊幹部学校教育部長、第一航空団副司令、中部航空方面隊司令部幕僚長、空幕総務課長、第七航空団司令(空将補)。昭和三十九年、航空自衛隊退官。

(カモメ)昭和五十六年三月死去。享年七十歳。著書は、「あゝ零戦一代」(光人社・昭和四十四年一月)があります。(海軍撃墜王列伝は終わりです)

 

 

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最終更新日  2020.05.29 15:39:10


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