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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

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2014.12.05
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(カモメ)西村敏雄は中央幼年学校の時代、郷党の領袖、田中義一大将の養子になった時期がありましたね。それで、一時田中姓を名乗ったこともあったのです。

(ウツボ)そうだね。昭和四年十一月陸軍大学校卒業(四一期首席・歩兵大尉)。西村敏雄は陸軍の軍学校を全て首席で卒業した。

(カモメ)「人物陸大物語」(甲斐克彦・光人社)によると、昭和七年の第一次上海事変では、白川義則(しらかわ・よしのり)大将(愛媛・陸士一・陸大一二・歩兵第三四連隊長・中支派遣隊司令官・少将・歩兵第九旅団長・陸軍省人事局長・中将・陸軍士官学校長・第一師団長・陸軍次官・航空局長官・航空本部長・関東軍司令官・大将・陸軍大臣・上海でテロにより死去・勲一等旭日桐花大綬章・功二級・男爵)の上海派遣軍に西村敏雄は最弱年の大尉参謀で出征したのですね。

(ウツボ)そうだね。その時の西村大尉の主な仕事は、対外文書の起案や、停戦交渉の軍事委員などで、日露戦争時なら、さしづめ陸軍教授のような仕事が秀才の任務だった。

(カモメ)昭和八年八月三十一日陸軍省軍務局附、中華民国・波蘭国(ポーランド)・ソヴィエト連邦駐在。昭和十年八月一日歩兵少佐。昭和十一年六月十五日教育総監部課員。昭和十二年八月航空兵少佐。

(ウツボ)西村少佐は昭和十三年十二月十日フィンランド公使館附武官兼スウェーデン公使館附武官になる。昭和十三年三月航空兵中佐。昭和十四年八月一日航空兵大佐。昭和十五年九月七日スウェーデン公使館附武官(~昭和十五年十一月九日)。

(カモメ)昭和十六年二月四日関東軍参謀(第二課長)。昭和十七年七月一日第一方面軍高級参謀。昭和十八年十月二十四日浜松教導飛行師団司令部附。

(ウツボ)西村大佐は昭和十九年二月七日第五飛行団長、八月一日少将、九月二十二日第一四方面軍参謀副長、十二月三十日大本営附。

(カモメ)昭和二十年一月十四日参謀本部附。当時ロシアを仲介者とする和平交渉が画策されていた。その特使は近衛文麿(このえ・ふみまろ)元首相(東京・学習院中等科・一高・東京帝国大学哲学科・京都帝国大学法学部・公爵・貴族院議員・貴族院議長・首相・A級戦犯・自殺・勲一等旭日大綬章)でした。

(ウツボ)ロシア仲介の和平交渉の近衛特使の随員に西村敏雄少将が選ばれた。だが、ソ連はこの仲介を拒否した。その後の西村少将の軍歴は付け足しみたいなものになったといわれている。

(カモメ)四月十日大本営第二〇班長、四月三十日中央特殊情報部長。終戦。西村敏雄は昭和三十一年三月十日死去しました。享年五十八歳でした。功四級。

(ウツボ)東條英機首相の側近ナンバーワンに赤松貞雄(あかまつ・さだお)大佐(秋田・仙台陸軍地方幼年学校・中央幼年学校・陸士三四・陸大四六恩賜・大本営参謀・陸軍大臣秘書官・中佐・フランス駐在・大佐・首相秘書官・陸軍省軍務局軍務課長・歩兵第一五七連隊長・終戦)がいた。

(カモメ)その著書「東条秘書官機密日誌」(赤松貞雄・文藝春秋)によると、赤松大佐は西村敏雄少将にはあまり好意的でなかったのですね。西村少将について次のように記しています。

(ウツボ)読んでみよう。「中央幼年学校本科でも、一年生の場合は二年生の優秀なものが取締役として、下級生の自習室に各区隊ごとに一人来ていた。私たちの取締生徒(西村敏雄)は、田中義一大将の女婿でなかなかの美男子であり、成績も首席だった。私はその前に机をおかされ、いつも彼に監視されているように思われて困った」

(カモメ)「私がニキビだらけの醜面であり、処分されたりしたので、いつも不愛想に取り扱われていた印象しか残っていなかった。それなのに、運命のいたずらか、後年に私が教育総監部奉職時代でも、欧州出張時代でも、彼が思い付きのことをしては失敗し、その後始末を私がさせられる羽目になったのである」

(ウツボ)「そして私は出来るだけの御世話をして、彼から大いに感謝せられたのである。人間はいつ、どこで、どういう廻り合わせになるか解らぬものだ。それゆえに人には出来るだけ親切にすべきものであろうと思うのである」。

【四二期首席・西浦進大佐(陸士三四)】

(カモメ)次は、四二期首席の西浦進(にしうら・すすむ)大佐ですね。陸軍大学校四二期は昭和二年十二月二十六日入学、昭和五年十一月二十七日卒業。入学者数五十名。卒業者数五十一名。中井増太郎中将、安達久少将、荒尾興功大佐、清家武夫大佐、桜井鐐三少将、服部卓四郎大佐、堀場一雄大佐、前田実彦大佐などがいますね。

(ウツボ)西浦進大佐は明治三十四年十二月四日生まれ。和歌山県出身。大正三年和歌山中学校入学。大正四年大阪陸軍地方幼年学校入校。大正七年陸軍中央幼年学校入校。大正十一年七月二十八日陸軍士官学校卒業(三四期恩賜)、十月二十五日砲兵少尉。昭和五年十一月陸軍大学校卒業(四二期首席・砲兵中尉)。フランス駐在。










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最終更新日  2015.07.05 19:51:44


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