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意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

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2014.12.26
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【四七期首席・高山信武大佐(陸士三九)】

(カモメ)次は、四七期首席の高山信武(たかやま・しのぶ)大佐ですね。陸軍大学校四七期は昭和七年十二月十日入学、昭和十年十一月二十九日卒業。入学者数五十名。卒業者数四十五名。権藤正成少将、大賀時雄大佐、島貫常行大佐、山本新大佐、種村佐孝大佐などがいますね。

(ウツボ)高山信武大佐は明治三十九年十月二十四日生まれ。千葉県出身。農業・馬場伝吉の次男。高山公通(たかやま・きみみち)陸軍中将(鹿児島・陸士旧一一・陸大一三・歩兵第三二連隊長・第四師団参謀長・歩兵大佐・歩兵第二連隊長・少将・歩兵第二五旅団長・関東都督府参謀長・中将・独立守備隊司令官・第一八師団長)の養嗣子になった。

(カモメ)松戸中学・仙台陸軍幼年学校・陸軍士官学校予科を経て昭和二年七月十九日陸軍士官学校卒業(三九期恩賜)、十月二十五日砲兵少尉、横須賀重砲兵連隊附。

(ウツボ)昭和五年十一月陸軍砲工学校高等科卒業。昭和十年十一月陸軍大学校卒業(四七期首席・砲兵大尉)、横須賀重砲兵連隊中隊長。

(カモメ)昭和十一年、二・二六事件東京軍法会議判士。昭和十五年十二月ドイツ視察団(団長・山下奉文中将)の随員(少佐)。

(ウツボ)昭和十六年三月参謀本部作戦課課員。昭和十七年三月中佐、兼大本営兵站総監部部員。昭和二十年四月軍務局軍事課高級課員、六月大佐、八月十五日終戦。

(カモメ)戦後、復員庁第一復員局総務課長、厚生省引揚援護庁復員業務部長を歴任。昭和二十七年十二月警察予備隊入隊。

(カモメ)その後陸上自衛隊では、統合幕僚会議事務局長、北部方面総監、陸上幕僚副長を歴任しました。昭和三十九年四月退官。昭和六十二年十月十六日死去。享年八十歳。

(ウツボ)著書に、「昭和名将録(一)」(芙蓉書房)、「昭和名将録(二)」(芙蓉書房)、「いまなぜ防衛か」(芙蓉書房)、「二人の参謀 服部卓四郎と辻政信」(芙蓉書房出版)、「参謀本部作戦課の大東亜戦争」(芙蓉書房出版)、「陸軍大学校の戦略・戦術教育」(不意陽書房出版)などがある。

【四八期首席・高瀬啓治大佐(陸士三八)】

(カモメ)次は、四八期首席の高瀬啓治(たかせ・けいじ)大佐ですね。四八期は昭和八年十二月十日入学、昭和十一年十一月二十九日卒業。入学者数四十名。卒業者数三十九名。中村貢少将、今泉金吾大佐、岡村誠之大佐、棚橋茂雄中佐、沢本勝少佐などがいます。

(ウツボ)高瀬啓治大佐は静岡県富士宮市出身。兄は高瀬壮太郎(たかせ・そうたろう・静岡・早稲田実業学校卒・東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部銀行科卒・商学博士・東京商科大学教授・東京商科大学学長・経済安定本部総務長官兼物価庁長官・参議院議員・文部大臣・通産大臣・日本信販社長・一橋大学名誉教授・郵政大臣・日本経営管理協会会長・成蹊学園総長・正三位・勲一等瑞宝章)。

(カモメ)高瀬啓治は大正十五年七月十六日陸軍士官学校卒業(三八期)、十月二十五日歩兵少尉。昭和十一年十一月陸軍大学校卒業(四八期首席・歩兵大尉)。

(ウツボ)昭和十六年九月参謀本部作戦課作戦班。最終軍歴は陸軍大学校教官(大佐)。戦後、新東産業(製紙会社)を創立。これ以外の詳細は不明だね。

【四九期首席・吉田元久大佐(陸士三八)】

(カモメ)次は、四九期首席の吉田元久(よしだ・もとひさ)大佐ですね。四九期は昭和九年十二月十三日入学、昭和十二年十月二十八日卒業。入学者数四十名。卒業者数四十一名。草地貞吾大佐、芝生英夫中佐、野原博起中佐、水町勝城中佐、吉川源三中佐などがいます。

(ウツボ)吉田元久大佐は神奈川県出身。大正十五年七月十六日陸軍士官学校卒業(三八期)、十月二十五日歩兵少尉。昭和十二年十月陸軍大学校卒業(四九期首席・歩兵大尉)。

(カモメ)昭和十六年六月二十八日第二五軍参謀。昭和十九年六月五日陸軍大学校教官、七月二十一日兼教育総監部第三課長、八月一日大佐、教育総監部第三課長兼大本営参謀。

(ウツボ)昭和二十年八月二十二日東部憲兵隊司令部附兼東部軍管区参謀。戦後引揚援護庁留守業務部長。これ以上のことは不明だ。

【五〇期首席・近藤伝八大佐(陸士四一)】

(カモメ)次は、五〇期首席の近藤伝八(こんどう・でんはち)大佐ですね。五〇期は昭和十年十二月十三日入学、昭和十三年五月二十八日卒業。卒業者数四十一名。竹田宮恒徳(皇族)中佐、重野誠雄大佐、吉橋戒三大佐、鹿子島隆中佐、山口英治中佐、和田盛哉中佐、藤原岩市中佐、吉江誠一中佐などがいますね。

(ウツボ)近藤伝八大佐は宮崎県国富町出身。父は雑貨商。旧制宮中大宮高から熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、昭和四年七月十七日陸軍士官学校卒業(四一期)、十月二十五日歩兵少尉。昭和十三年五月陸軍大学校卒業(五〇期首席・歩兵大尉)。

(カモメ)昭和十六年、大本営陸軍参謀本部作戦課参謀。近藤少佐は背広姿の商社マンに変装し、南方を視察旅行したのですね。

(ウツボ)そうだね。帰国後、オランダ領スマトラ島(現・インドネシア)のパレンバンにある当時世界最大級の石油基地を落下傘部隊により奇襲、占領する計画を立案したのは、近藤少佐だった。







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最終更新日  2015.07.04 21:19:36


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