卒論・修論研究に期待される教育効果
いろいろ書いたけれども、メッセージはただ一つ。「主体的」に学んでくださいね、ということ。とりあえず「課題」をこなしている感覚で、卒論や修論に取り組んで、言われたことをいくら上手にこなしても、得るものは少ない。本人が主体的に取り組まなければクリアできないくらいの難易度の課題を与えないと、理系社会人(企業もアカデミックも)育成のためのOJTとしては機能しない。 posted at 10:03:02すると現場での問題として、メンタルが弱い学生に対する対処法が重要になる。OJTの難易度設定に、本人の主体性を発揮させるためにある程度まで「追い込む」ことを想定しないといけない。ストレス耐性がないと、そこで脱落してしまう。難易度を下げると、教育効果が失われる。 posted at 10:11:26実際のところ、社会人・理系プロフェッショナルが直面する問題点は、会社だろうが、アカデミックだろうが、誰も難易度を手加減してくれない。誰にでもできる、解決策が既知の、問題解決だけしていればお給料がもらえるほど、世の中甘くない。 posted at 10:14:16こうして、またひとつ「ブラックラボ」が誕生するわけである。やれやれだな。 posted at 10:15:17学生にとってストレスを与えない「楽な」ラボをホワイトラボというのはよいとして、楽でないラボをすべてブラックラボ認定するというのは、定義の誤用ないし、ブラックラボという用語の濫用だろうなとは思う。ブラックかどうかの判断において、比較すべきは、学生が受けるストレスと、そのストレスの持つ教育効果のバランスであると思う。原理的に、一定のストレスを与えることに教育効果を仮定している以上、ストレスフリーな研究室というものの存在意義はないのではないかと思う。 posted at 10:23:38を改変これは教育問題においてつねに付きまとう問題なんだけれども、学生本人は、自分が受けている教育の教育効果を、評価することができないことが多いよね。ここを過小評価すると、ストレスが勝ってしまって、ブラックラボということになる。 posted at 10:26:10多くのラボで見られる光景。就活にしか興味のない学生が、課題感覚でこなしている卒論の研究であっても、そのラボにとっては主要テーマ。何人ものスタッフや先輩がコミットし、振り回され、マンパワーと科研費が無駄に消費される、ということ。これは税金の無駄使いだ。しかし本人には悪気がない。 posted at 10:36:52そんな学生を採用してしまう企業もある意味被害者だ。結局ミスマッチということで、2~3年で転職・第二新卒になる。企業は新人教育をすると、その教育経費はムダになるので、即戦力志向を高め、悪循環となる。リクルート他、就活産業だけがもうかる。 posted at 10:39:28僕も数年前までは、自分がラボヘッドになるなんて想像もしていなかったし、どんな困難点があるかなんてことも予想だにしていなかった。研究だけやっていれば幸せだった。ある意味、他人の稼いだ研究資金を好きに使っていた無責任な人間だった。 posted at 11:13:17教育と研究は(米国の大学みたいに)もっと徹底して分業すればいいとか。そのくせラボにくる学生が量子力学を知らないと、学部教育が悪いとか、えらそうに批判していた。量子力学とか分光学とかなんて、それを使うセクションが積極的に声を上げない限り、だれもボランティアで教育なんかしないのに。 posted at 11:16:07そのような多くのジレンマのなかで、内田樹先生の著作・教育観には、とても影響を受けたような気がする。ただ、それを、現在、生命系のラボで実践できているかというと、それはまだまだ全然至っていない。 posted at 11:17:53ブログ村で蛋白質立体構造関連のブログを探してみる