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知的漫遊紀行

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Ryu-chan6708

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2006.06.17
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カテゴリ:読書感想
シートン動物記逆読み読破2冊目

   この本は、バナーテイルとシートンが名づけたハイイロ・リスの成長する過程を描いた物語である。シートンが自ら観察した生態をベースにしているとのこと。

話の発端:ある農場の少年が、たまたま油断していたリスを見かけこれを打ち、洞から子リスをつかみとることから始まる。少年は農場に帰り、猫がネズミを食べていることを思い出し、猫に子リスをあげようと恐ろしいことを考えた。そして、子リスを猫の巣に落とした。

猫による子育て:しかし、意外なことに、お母さん猫は子リスを自分のようにお腹の下に入れ、乳を与えて育てた。成長してきた子リスはお母さん猫の立てた尾に上ると、その尾をすべり台にして地面に降りるという遊びをするようになった。この子リスが主人公のバナーテイルである。

野生への復帰:あるとき、農場が火事になり、お母さん猫も農場の人も姿を消した。幼いときにお母さんリスと別れたバナーテイルは、リスの生き方を学んでいなかった。リスの本能だけで野生の生活に飛び込むことになった。
   バナーテイルは、近くの森に住むようになる。餌は主として木の種である。また、いろいろな野生の動物との対応も学び、次第に野性の生活に対応するようになる。

求愛のルール:やがて、バナーテイルはメスのリスとあうようになる。これがシルバーグレイである。そして求愛する。求愛にはリスとしての本能的なルールがある。オスは三回求愛し、メスは三回拒む。バナーテイルとシルバーグレイは、このルールを守り、幸福な家庭を築く。

新居を構える:巣を作る権限はメスにある。バナーテイルは、自分の巣を捨てなくてはならなかった。こうして、新しい巣に住むようになる。

子どもの誕生:あるとき、シルバーグレイが、巣に入ろうとするバナーテイルを拒否する。バナーテイルは仕方なく、別の巣で過ごす。理由は少したって分かった。三匹の子供が生まれたのである。そして、再び、バナーテイルは、元の巣にもどり、新しい子供含めた家庭生活を送るようになる。

子供の教育:三匹の子供は性格が違う。一番大きなリスは力があり、落ち着いた性格だった。二番目に大きな子リスは短気で向こう見ずであった。体が一番小さい子リスはメスで甘えっ子であった。
   両親は、子供が成長するとともに、何が危険か、どのように予防活動をするかを野外で教える。特に訓練は母親中心で、その訓練はまさに「やって見せ、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば人は動かじ (山本五十六の言)。」流。
   遊びも人間同様、動物にとっても重要な教育手段である。

子供の死:ところが、悲劇が起こる。二番目の子供が親の指導を聞かず、警戒しなかったために、人間に打たれて死ぬ。野生動物の間違いは死と隣り合わせである。厳しい。

赤キノコの新しい教訓:あるとき、バナーテイルは、アカリスが取り込んでいる赤キノコに気をひかれ、それを食べてしまう。それは麻薬のような効果を示し、ハイになったが、翌日はその反動で二日酔いのようになった。しかし、バナーテイルはそれにこりず、また、赤キノコをたらふく食べる。今度は、1週間くらい死ぬほどの苦しみを味わう。

   アカリスは、本能的にその毒を知っていて、すぐ食べないで乾燥して毒を抜いてから食べていたのである。ハイイロ・リスはあまり赤いキノコがある森林に住むことが少ないためにそのノウハウの伝達がなかったのである。しかし、あるとき、二匹の子供とバナーテイルは森を移動しているとき、赤いキノコに出会う。バナーテイルは、ひどい嫌悪の姿勢を示した。おそらく、二匹の子供はそのバナーテイルの表情から、赤いキノコの危険性を学んだであろう。

娘救出の戦い:あるとき、一番小さいメスの子リスが小川に水を飲みに行き、警戒を怠って、天敵の黒ヘビに巻きつかれる。それを知ったバナーテイルとシルバーグレイは共同して、黒へビに対して攻撃する。そして、黒ヘビは致命傷を受け、池に逃げるとたちまち、スッポンに食べられた。一家は助かった。そして、一家の結合はより強化された。

ヒッコリーとハイイロ・リスの関係:最後に、シートンはヒッコリーという木とバナーテイルのようなハイイロ・リスの関係が実に自然のたくみな摂理にそっていることを示す。
   それは、ヒッコリーの種は落ちても必要な深さまで土にもぐれないのを、ハイイロ・リスが餌の確保のために必要な深さまで掘って埋めてくれる。そして、ある確率でリスが食べないで、その種がヒッコリーとして成長するという摂理である。

   シートンは言う。人間はハイイロ・リスを楽しみのために銃で殺す。しかし、それはヒッコリーの森を滅ぼすことにつながっていることを知らない。ヒッコリーの森は人を養う農業の柱である。人間は自分が乗る木の枝を切って、枝ごと木から落ちる愚か者である。
 
   シートンがこの物語を書いたのは1922年。今、われわれは確実に枝から落ちだしている。

   この物語で述べられているハイイロ・リスの本能、ルール、しつけは、飢えを避け、死の危険に満ちた生活を安全に過ごすための一種の「文化」である。その文化を忘れ、戦後日本の「家庭教育」は崩壊した。「文化」は安っぽい論理ではない。自然には死を賭しても守るべき深い「文化」があることをこの動物記は教えてくれる。

 小学生も読めるが、その点、両親が読むべき本かもしれない。

それは学校教育も同様。17日の朝日新聞の「私の視点」で、学校教育の「寛容度ゼロ:セロトレランス」方式を特集している。加藤教授は米国の学校から麻薬と銃は消え、授業中の立ち歩きや私語はなくなったという。それはクリントン大統領時代に基本的に伝統的な教育観にもどった結果であるというアメリカは「学校の品格」を回復したようだ。

バナーテイル





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Last updated  2006.06.17 06:17:03
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