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カテゴリ:歴史
私:マッカーサーとの会見は1950年の第10回会見以降行われず、朝鮮戦争でマッカーサーが解任され、帰米する前日が最後の両者の会見となった。 次に昭和天皇にとって共産主義の脅威から天皇制を守りきるためには、無条件に米軍依存するしかなかった。 A氏:天皇にとって「安保体制」こそが、戦後の「国体」として位置づけられたわけか。 ところで、朝鮮戦争でアメリカが日本に再軍備を要求するね。 私:ところが、著者はダレスの交渉の狙いは日本軍の再編成でなく、米軍基地の継続利用だったという。 A氏:吉田外交は稚拙だったことになるね。 私:著者は、その原因は昭和天皇の「二重外交」にあるという。 A氏:「内奏」自体が新憲法では政治介入だね。 私:ところで、俺はこの本で知ったのだが、意外なことに、吉田首相がサンフランシスコ講和条約に出席することを、最後の最後まで執拗に固辞したことだね。 A氏:吉田首相は、何故、そこまで頑強に抵抗したのかね。 私:著者は、講和条約そのものは、吉田は高く評価していた。 A氏:それが、ワンマンと言われた吉田首相が折れて、結局、最後はサンフランシスコ講和条約に行くようになったのは何故なの? 私:ダレスの督促が来た3日後に、吉田は昭和天皇の「拝謁」に行く。 A氏:アメリカ占領期には、ワンマンの吉田首相の上に、もう1人ワンマンがいたことになるね。 私:著者は、その観点から戦後史を再評価すべきとしているね。 著者は、天皇の政治介入は戦争中から一貫しているという。 明日は、最後の話題として戦争中の政治介入問題に話しを移そう。
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Last updated
2008.10.30 12:20:05
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