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カテゴリ:映画
監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
予告編で菊池凛子を観て「高校生か?」と突っ込んでしまったし、公開後の評判は今ひとつのようだし、観客が気分を悪くするという事故は起きているし・・・ということであまり期待はせずに観た(からかも知れない)が、とても良かった。 幼い子どもの死が原因なのか、しっくりいっていないリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)のアメリカ人夫婦がモロッコを旅行中に銃撃される。スーザンは重傷を負うが近くに病院はなく、言葉もろくに通じない・・・というドラマ。夫婦の留守宅で二人の子どもを守る乳母は実の息子の結婚式に出るためにメキシコに帰りたいが、代わりの子守が見つからず、子どもを連れて行くことにする・・・というドラマ。母の自殺が原因なのか、いつもいらだっている聾唖の女子高生チエコ(菊地凛子)と父親(役所広司)のドラマ。それにバスを銃撃した兄弟の家族のドラマが平行して描かれる。 ただし時間についてはかなり自由に構成されているということが終盤にはっきりする。 作品全体を支配しているのは強烈な違和感だ。「バベル」というタイトルからも言葉の問題が焦点になりがちだが、言葉が通じないということだけではない。風土・文化・思想そういった諸々の違い。自由(意図的)に構成された時間と空間のずれ。最悪の選択をする何人かの登場人物。 東京が舞台になっている場面でも、アジアのどこか別の国にいるような居心地の悪さを感じる。 例の事故が起きたとされるクラブのシーンも強烈な違和感をもたらす。強い光の点滅が原因ではないかと言われているが、大きな音楽と聾唖者であるチエコの心象風景を表す音のない世界の落差からくる音の影響もあるのではないかと感じる。 それぞれの事件を経て夫婦、親子はお互いの大切さに気がつく。それは悲しみも苦しみも共有しあえることの幸福だと思う。 夫婦を演じるブラッド・ピットとケイト・ブランシェットが良い。菊池凛子は強烈な印象を残す。その分このイメージから脱却するのに苦労するかも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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