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カテゴリ:教育実践と「競争」
教育の実践場面で「子どもたちの競争心」を刺激する場合は少なくないでしょう。それは教科の領域だけでなく「特別活動」の領域でもいえます。
例えば、正副室長が中心になって6クラス合同のレクリエーションを(第1学年の5月に)実施したことがありますが、ゲームを盛り上げるためクラス対抗にして、上位チームに「景品」を出す企画を一緒に考えました。 そして又、私が担任していたHRで「水車の回る店づくり」をしたときも、「他のクラスが絶対に取り組まないような企画を考えよう」といった呼びかけをしています。いずれも子どもたちの「競争心」を刺激する方法だと言えるでしょう。 さて、それでは「競争心」を刺激する場合の留意点は何でしょうか? 実際の行動や活動に際して「競争に勝つことが目的ではなく大切な指導目標は別にある」ことを指導者が意識すること、子どもたちが行動・活動の「振り返り」をする時に「勝ったかどうかとは別の成果」に目を向けるよう指導することだ、と私は考えています。 〔実践例1〕 1、クラス目標の提案・決定 ・「球技大会」に向けて、(担任を交えた「会議」の末)ホームルームの役員が、「何が何でも優勝しよう」という目標をクラスに提案・討議した結果、それを「クラス目標」にすることを決定。 ここでは、「最初から負けることを前提に“目標”を決めるべきでない」、といった意見交換も含めて討議をした。 ・「優勝するためには何が一番大切か」について討議する中で、具体的な取り組み(「励ましあう応援をする」、「競技を途中で投げ出さない」など)を、クラスで決定。 2、「球技大会」当日の取り組み 決定に沿ってクラスの生徒は競技・応援などに全力を尽くすが、残念ながら「優勝すること」はできなかった。 3、取り組みの振り返り(総括) ・クラスで総括会議を行い、クラス決定が達成できたかどうか、一つひとつの点について討議・確認していく。そして、「目標は達成できなかったが、“目標を達成するための取り組み”(応援、競技に全力を尽くす)は全員で実行できた」ことを確認。 ・球技大会の前と後を比較して、「クラスが変わったことは何か」意見を出し合う。「チームとして全力を尽くしたり、声をそろえて応援することでクラスメートに対する信頼が高まった等々」を出し合い、それが「大切にすべきクラスの財産であること」を確認。 さて、具体例をひとつ出しましたが、これは「クラスという“ひとつの社会”の中で声を掛け合い協力する力」を育てたり、「原案⇒討議・決定⇒実行⇒総括」という民主主義のスタイルを学ばせる、という“指導目標”を常に意識しながら「手段として競争の刺激を取り入れた」実践だといえるでしょう。 私の「クラスづくり」の実践も、「他のクラスがしないような企画」を実行していくことを通して“他者に働きかけ、活動をつくり出す力”、“集団を分析し新しい人間関係をつくる力”などを個々人が獲得し、成長していくことを意識したものです。 他方、部活動の競技であれば、HR活動や生徒会行事以上に競争を意識することになります。確かに「勝つために全力をつくして活動する」からこそ多くの貴重な体験ができるわけですが、それが教育である以上、目的は「勝つこと自体」ではなく「子どもたちの成長」でしょう。 現実の部活動においては、同じ部のある者は全国大会入賞、他の者は都道府県の予選で敗退」、といったことがおこったり、「真剣に誠実に活動を続けたが3年間正選手になれなかった」、という結果も起こりえます。 そのような現実の中で、ともすれば「負けた自分はダメだ」という意識になりやすいのですが、教育者は常に“指導目標”を意識し、「活動を通して獲得している“価値”」に目を向けるような“振り返り”を促していくことが大切だと考えるのです。 (教職員同士の「いい意味での相互刺激(切磋琢磨)」を促す職場作りの例は次に回します。) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ よろしければ投票していただけますか (一日でワンクリックが有効です) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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今日9729さん
>これは、自然の競争ですね。 >教育の原理として、押さえておきたいことですね。 「競争心」自体は決して不自然なものではないと思います。しかし、「勝つことが目的化」していくことは様々な問題を生み出します。 鳥取県でも10何年か前、「駅伝の負けを苦にして中学生が自殺する」という痛ましい出来事が起こりました。教育者が「活動を通して得られる価値」から決して目を離さないことは本当に大切なことだと思います。 (2009.03.07 08:56:52)
不易流行の話の中で,「競争」=「流行」としか捉えられていない教師がいる一方,「競争」に含まれる「不易」の側面を取り上げられているしょうさんの記事を読むとほっとできます。
(2009.03.09 22:57:16)
>不易流行の話の中で,「競争」=「流行」としか捉えられていない教師がいる一方,「競争」に含まれる「不易」の側面を取り上げられているしょうさんの記事を読むとほっとできます。
約1年前、kurazohさんには突然わたしのブログにご訪問いただき、活発なやり取りをしましたが「それが有益だった」と感じたのは、全く違った観点を出し合うことから出発して一定の合意に達したからです。 http://plaza.rakuten.co.jp/shchan3/diary/200802100000/#comment http://plaza.rakuten.co.jp/shchan3/diary/200802120000/#comment いってみれば、あなたの言うWin-Win(ともに勝つ)関係になるような「競争や刺激」はいかなるものか、というのがこのたびのテーマです。上記リンクとも関連しますが、私は「成果を数値化して教員の賃金に差をつける」ことを中心にするのではなく、(管理職も含め、学校内でも学校の枠を越えた「研修会」でも)「成果を挙げた実践を報告し、互いに分析し学びあう」という民間教育研究団体の手法を積極的に取り入れるのがよいと思います。 教育行政機関(および管理職)もそのような研修を企画・実行していくことに指導性を発揮してほしいものです。私自身は「教育センター」(主に教職員の研修を企画推進する)の職員に、そのような研修を(Kさんを講師として招くことも含めて)積極的に提言しています。 (2009.03.10 18:26:39) |