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カテゴリ:教育実践と「競争」
前回記事の最後に部活動の競争を取り上げながら、ともすれば「負けた自分はダメだ」という意識になりやすい、ということにも触れました。
それは当然、部活動だけではありません。例えば、学力競争を背景とする「学校のランク」、そして「“ランクが低い”とされる学校へのまなざし」は部活動以上に子どもたちの心に深刻な影響を与えています。 私は、「学校の力を高める 3」で生徒(S子)の言葉を取り上げました。 ここで語られているような「学校差別」の現実が子どもたちを深く傷つけていることにまず目を開く必要があると考えます。 そのような現実から出発して「学校も自分自身も素晴らしい」と実感できるような取り組みを創っていくことが大切でしょう。そして、実際に素晴らしい取り組みを体験できたからこそ、S子は次のような言葉を発することができたのです。(リンクの文章と重複しますが) 「私にとってU高校とは、心を鍛えてくれた場所だろうか。悲しみの中から人間とは何であるかを教えてくれた場所だろうか。(・・・)友だちの大切さ、努力を惜しまずに前進するすばらしさ。相手を思う優しさ。プラス強さ。人間は1人の力で生きているのではないこと。人間は成績などで計りしれないこと。 (・・・) そう、私にとってU高校とは、人間のすばらしさを教えてくれ、心の翼をくれた場所」。 さて、U高校では例えば「3000人が地域から集まるスケールの大きな学校祭(他のどんな学校にも負けない学校祭)をつくろう」、という取り組みが生徒会を中心に進められ「成果」を挙げるわけですが、そのような取り組みの背景にはU高校の職員集団の力があります。 以前、U高校の職場づくりのポイントをKさんに尋ねたところ「あのひといいよね」といった言葉が自然に出てくるようになると職場の力はぐんと伸びていく、ということでした。最近聞いたところによると、そのような言葉が出てくるようになった背景には「ある仕掛け」(「職場学習会」の取り組み)があったのだそうです。 具体的には「○○先生に学ぶ」というテーマで定期的に組合主催の学習会を(全職員に呼びかけて)実行したのだそうです。そのために、まずKさん自身が同僚の「優れた指導」に目を開き、「学習会の問題提起者」を個別に依頼していったということですが、このような取り組みは、様々な意味において職場の雰囲気を前向きにし、職員同士が刺激しあう(切磋琢磨する)状況を生み出すことになります。 1、問題提起を依頼された職員は、自らの指導の長所を(評価も受けながら)明確に意識し、それをさらに伸ばしていこうとする。 2、学習会に参加した職員が(日ごろから)同僚の長所に目を開き、それを積極的に取り入れるようになる。(大阪高生研は「パクリあい」を推奨しています) 以上のような変化が生じてくると、さまざまな取り組みについて話し合う「職員会議」もいっそう前向きな雰囲気の中で大切な事柄について討議・決定⇒実行 していくための役割をしっかりと実質的に果たせるようになるわけです。 Kさんの進めた「職場づくり」は、確かに単純なものですが「数値による競争」を持ち込まなくても「職員同士が前向きに切磋琢磨する状況」を作り出したといえるでしょう。 私も、「職場学習会」をこれまで繰り返し企画・実行してきましたが、「○○先生に学ぶ」というテーマで「実践」を報告し「分析」する学習ができれば、同僚の長所を学ぶと同時にそれぞれの「実践課題」を意識していくことにつながると考えます。 ぜひ、まねをしてみたい「職場づくり」、「学校づくり」ですね。 (教育問題に関する特集も含めてHP“しょう”のページにまとめています) ↑ よろしければ投票していただけますか (一日でワンクリックが有効です) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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高校で、このような取組ができるのですか。すばらしいです。
読ませて戴きまして、うれしい気持ちでいっぱいになりました。 このように学校内で、仲間が学び合うこのことが、今、一番大事なことですよね。 昨年、沖縄のある地区に漢字教育・表現よみ(朗読)の指導の話にお邪魔しました。 9校で、すべての先生方が、参加してくださいました。(それをTB,させて戴きますね。) 今、先生方が、全体で、学ぶということが、本当に大切ですね。 応援して戻ります。 (2009.03.08 18:25:08)
今日9729さん
>高校で、このような取組ができるのですか。すばらしいです。 (・・・) >このように学校内で、仲間が学び合うこのことが、今、一番大事なことですよね。 本当にそう思います。次回はフィンランドの授業実践も紹介しながら、「授業を中心とする学びあいの事例」につなげていきたいと考えています。 TBありがとうございました。ぜひ読ませていただきます。 (2009.03.08 20:58:18)
以前も人間の弱さを持ち出し相手の長所を認める重要性を説かれておられましたね。
しかしその一方で、外から見たときに不足と思われるところを 指摘することにはどのように考えられていますか? 相手に社会人程度の意識があれば非常に有効な方策ですし むしろ指摘されないことの損失は大きいと思います。 良い点は認め、悪い点は指摘するのが自然なやり方と思うのですが なかなか教員同士の切磋琢磨でそれを実行するのは難しそうですか? (2009.03.10 02:13:07)
>(・・・)外から見たときに不足と思われるところを
>指摘することにはどのように考えられていますか? 基本的に、実践の報告・分析というのは「優れた面と“課題”」をしっかりと明らかにすることです。それが適切にできるのが「質の高い」分析であり、相互の成長のために有益でしょう。(それは、現場でも可能であり大切なことです)。 Kさんは特に分析力の高い方ですから、学習会の中で「不足と思われる点(課題)を明らかにしていくこと」も当然行われていたと思います。また私自身、校内での研修会では遠慮なく批判的意見を述べるほうです。 ただ、Kさんは力量の高い実践家であると同時に「人間の弱さ」をも洞察できる人だったので、「批判だけに偏るのではなく優れた面にもしっかりと目を向けることが個々人の成長や職場づくりに有効だ」と考えて上記のようなテーマで職場学習会を進められたのでしょう。 「陰口」や「無責任な学校たたき」がマイナスしか生み出さないであろうことは、以前述べたとおりです。そのような問題を積極的に乗越えていくような発信(実践例も含めて)が大切だと思います。 (2009.03.10 18:28:54)
いや、私は批判に偏るべきだと言っているわけではなく
優れた点と課題を共に提示する方が有効ではないかと言っているのです。 その上で、 >良い点は認め、悪い点は指摘するのが自然なやり方と思うのですが >なかなか教員同士の切磋琢磨でそれを実行するのは難しそうですか? と投げかけました。 >基本的に、実践の報告・分析というのは「優れた面と“課題”」をしっかりと明らかにすることです。それが適切にできるのが「質の高い」分析であり、相互の成長のために有益でしょう。 上記を見る限り、共に指摘していくことの有効性は認めているようですが 記事にある2つの項目では「認め合い」「励ましあい」に重きを置かれていますね。 もちろん批判ばかりではモチベーションの低下につながるでしょうが 批判的意見も社会人程度の意識があれば十分乗り越えられると考えています。 そこまで気を遣わないと切磋琢磨はできないのかと純粋に疑問なのです。 (2009.03.10 19:00:59)
Psycheさん
>共に指摘していくことの有効性は認めているようですが 研修会、というのは基本的にそのようなものです。 >記事にある2つの項目では「認め合い」「励ましあい」に重きを置かれていますね。 ゼロから職場学習会を提案・開始して職場づくりを進めていく場合、上記のようなテーマ設定は「一つの有効な方法」でしょう。そうでなければならない、というものではありません。 ただ、ある意味で「成果を挙げた実践」がなぜ成果を挙げたのか、を考えることは大切でしょう。 (2009.03.10 21:53:11)
>研修会、というのは基本的にそのようなもの(共に指摘する)です。
それが有効な方策だからですね。 >ただ、ある意味で「成果を挙げた実践」がなぜ成果を挙げたのか、を考えることは大切でしょう 「なぜ成果が出たのか」に対する考察はシンプルでしょう。 自己肯定感が心的エネルギーを生み出し積極的に行動させたのでしょう。 ただ、これは子供の場合も同じなのですが、最初は補助輪がついていても 最終的には自分で機能していくことを目標にするでしょう。 その上で、共に指摘するような実践では成果が出ないのですか? 出るのならば、指摘する有効性を捨ててまで 認め合うことを取り上げられる意図が知りたいのです。 そこで、もう1度しょうさんに伺いたいのですが そこまで認められないと教員の方々は切磋琢磨できないのでしょうか? この疑問に対してお答えください。 (2009.03.11 02:47:14)
そこで、もう1度しょうさんに伺いたいのですが
そこまで認められないと教員の方々は切磋琢磨できないのでしょうか? ちなみに、上記の私の疑問に対する回答が「Yes」ならば疑問は氷解し あなたが取り上げる手法は有効なものと思い支持いたします。 (2009.03.11 02:49:50)
続けてコメントすいません。
成績が芳しくない生徒に対して褒められる点を見つけ 持ち上げて(認めて)モチベーションを高めるというやり方は 塾に限らず企業でもなされていることと思います。 その有効性は私も認めていますよ。 ただ、いつまでも認められなければできないようでは志が低い。 高い志を目指した上での、「まずは」の段階と思います。 難しいことは全く述べていないので、シンプルに受け止めていただけると助かります。 (2009.03.11 03:05:23)
>その上で、(長所と不足する点を)共に指摘するような実践では成果が出ないのですか?
>出るのならば、指摘する有効性を捨ててまで >認め合うことを取り上げられる意図が知りたいのです。 ともに指摘する「学習会」は有効です。「指摘する有効性を捨てる」ことは主張していません。 >そこまで認められないと教員の方々は切磋琢磨できないのでしょうか? 実践の活力につながる分析は、「問題点と同時に優れた点も取り出せるような“適切な分析”」であり、それがいい意味での切磋琢磨につながると思います。 ながねん高生研を中心に「実践分析」をしてきましたが、分析においては問題点を探すよりも長所を探す方が難しく、分析力を必要とします。「各人が望ましいと考えている実践イメージ」に照らすと「不足と思える点」はすぐ目につくのです。 高生研全国大会の場合、一本の実践について報告・分析は通常6時間です。前半は、「不足している」と思われる点の指摘が多く出る傾向がありますが、論議が深まる中で「学べる点」も含めて充分な分析ができ、参加者も満足できることが多いです。 それに対して、全国大会のように充分な時間を取れない「職場学習会」では「不足だけを指摘する不充分な分析」になる危険性はあるでしょう。「○○先生に学ぶ」というテーマ設定は、その落とし穴を避ける「面白い有効なやり方」だと感じています。 (2009.03.11 19:27:53) |