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日記はこれから書かれるところです。

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2006.02.08
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天皇制。

秋篠宮家がプレグナンスということで、皇室典範改正に影響がありそうだという。

前回、伝統や文化に対する態度をデューイの言から考えたが、そんなこと考えなくても、俺は要らない観念を削ぎ落として考えれば、「天皇制」そのものが明治政府の作り物であるってことに気付けるんじゃないかと考えている。

なんで天皇を敬うのだろう?
これは明治政府の<強制>の結果以外の何物でもあるまい。江戸より前の時代に庶民には天皇なんて知られてないわけで、森有礼はそこに腐心し、西洋を真似して(!)「祝声」の制定を試みた。その祝声には、帝国大学教授会で「万歳」案が承認される(牧原憲夫「万歳の誕生」や同『客分と国民のあいだ』における研究成果を紹介する森巣博の受け売り)。

「伝統」なんて怪しいわけだ。

受け売りついでに、森巣博の疑問をのっけとく。

1.「お稲荷さんより偉い」天皇を一目見ようと、「所きらはず折重なりて」「一時に右往左往に散乱」し「国旗だも掲げず冷淡に看過し」た東京市民のそれまでの「伝統」は、いったいどうしてしまったのか?

2.「天皇の前で大声を発するなど不敬きはまりない」とするそれまでの「伝統」は、どこへ行ったのか?

3.なぜ、「西洋」の真似をして「祝声」などをあげなければならないのか?

4.そしてまた、「西洋」の真似をするのが、どうして「日本の伝統」なのか?

(以上、『無境界家族』から)


そう、「天皇」は明治に<生まれ>たわけだ。

それまでも「天皇家」は続いていたんだ、って?

その通り。

そして、俺の家も続いていた(笑)。

誰かが前に書いていて爆笑とともに感心したのだが、俺も「万世一系」なんだよね。誰もが「万世一系」なわけで、「万世一系」そのこと自体に価値があるわけではないわけだ。


■男系天皇を大事にしなければならないという主張を可能にする前提

長い小見出しですが。

男系天皇を大事にしなければならないという問題設定を可能にする<知>の前提条件はなんであろうか。

それは「血」である(<知>の前提は「血」っていうダジャレです)。

ちょっと考えればわかるが、「血」への信仰がなければ、この議論自体が成立しないことは言うまでもない。

よって信仰は天皇家の「血」に対してのものだといえる。

「血」に対する信仰はいつ生まれたのかも考えてみるべきじゃなかろうか(その信仰の「伝統」自体がすでに怪しい)。

そして、「家」信奉者が「天皇制」信奉者である理由はここにあるわけだ。

これについてはまた書こう。


■俺の<知>的状況と、お前の<知>的状況

<制度>を支えるのは時代状況である。その時代における<知>のあり方が、<制度>を支える。

<知>が変わっていけば、「天皇制」だって当然になくなる。少なくとも俺個人の<知>的状況においては、「天皇制」なんて必要ない(江戸以前の庶民に必要なかったように)。

しかし、一般状況として、「天皇制」を支えているのは、要らない観念たちである。そして、それらは多く明治期に作られている。それらを馬鹿どもは「常識」と呼ぶ。

そして、その「常識」は、かなりテキトーなものである。あるいは、論理の正しさで説得できない親父のキレ文句である。


■誰が一番不敬か?

俺は思うのだが、男系天皇維持を訴えたい奴らは、(西洋の真似をしていることに気付かず「伝統」を言う)単純なイデアリストなのだが、もっと重要なのは、最も天皇に対して不敬なのは、そいつらだということだ。

言うまでもなく、われわれは自分のいいように、「伝統」を解釈する。一通りにしか解釈できない「伝統」はないわけで、その解釈の仕方が、そいつの価値観なわけだ。

さて、このとき、男系天皇維持を訴えるやつらの解釈は、どんな「価値観」に支えられているのだろうか。これだ。

ちょっと訊きたいのだが、天皇家は、晩餐会など、必ず「洋服」を着る。「日本の伝統」の「和服」ではなく(あるいは、天照ほにゃららが着ていたようなナントカ服でもなく)、「洋服」を着る。なんでいいの?

こういう「伝統」は変えてもいいのに、女系天皇はいけないと。はぁ。

思うに、男系天皇維持を訴えるやつらは、自分たちの価値観を主張するために天皇を「利用」しているに過ぎない。「戦争したい」とか「男の方が偉い」と言いたい思いがあるから、歴史から男系天皇を読み取る(解釈する)わけだ。

「天皇」を「利用している」やつらは不敬ではないのだろうか?

俺は天皇を敬っている。まあ、それは隣の家の人を敬うのと同じ程度においてだけど。

でも、利用する奴よりは随分マシだと考えるが如何。





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Last updated  2006.02.09 00:12:45
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