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日記はこれから書かれるところです。

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2006.02.20
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「紛争屋」伊勢崎賢治氏が結構前に書いた『インドスラム・レポート』をちょこっと読んだので、その部分を皆さんにシェアってことで。「インド論批判の巻」ってところ。


■ガンディとアンベドカル

いや、なんというか顔から汗が出そうなんだけれども、アンベドカル博士ってしらなかったんだよね(恥恥汗)。

まあ、しかし、そういう人も他にいるだろう、と勝手に気を取り直して進める(こっから先の理解は、伊勢崎氏に負ってるのは言うまでもない)。

われわれ一般人(と言ってもいいよね)の理解では、なんだかインドの独立は、インド全国民がガンディに率いられて勝ち取った、って感じだったと思うが、頭を冷やして考えれば当然の事ながら、そんな単純だったはずがない。

ガンディは政治家であって、もちろん政敵もいたし、すべての行動を支持されていたわけではない。彼の行動は、ある人たちにとって、ときには「わがまま」にも映ったようだ。

そして、その「わがまま」を攻撃したのが、不可触民層で、その先頭がアンベドカル博士だったと。

「わがまま」ってのが何かといえば、ガンディの政治的矛盾。ガンディは、(政治家によくあるように)不可触民に対する社会的、文化的差別に(口先だけは?)反対しながらも、その原因であるカースト制には目を瞑っていたわけで、まあ、都合よく不可触民「票」をあてにしてたってことらしい。

まあ、「断食」という「伝家の宝刀」で世論を動かすガンディは、政治家としてなかなかの手腕なわけで、アンベドカルも、ガンディとしばしば政治的妥協をしなければならなかったよう。

んでもって、まあ結局独立に際しては、アンベドカルが人口の大半を占める被抑圧者階級から支持を受け、纏めたってことだ。だから、まあ、ガンディの功績ばっかを讃えないってのが、まず、押さえるべきところだな。


■タブーとしてのガンディ

さてさて、だけども、ガンディについてはそれだけじゃすまない。俺は、ガンディってのは、それでもインドの人たちに尊敬されてるんだと思っとった。どうも違うらしい(汗汗恥)。

アンベドカルは、英国からの独立が達成された後に、ヒンドゥ上位カーストによる専制支配がさらに強化されることを恐れていたし、同様にイスラム教徒の指導者であったジンナーも恐れていた。

それが、しかしまあ、案の定。

ガンディの死後、彼は文字通り「神」の存在になってしまって、それを盾にその後継者たちは酷いことやったんだな。

ここで、伊勢崎氏、おもしろいこと書いてる。

人口の大部分が、無学文盲のインドは、何よりこの「神」に一番弱いのです。

大差ないのをこの国にも見るが・・・。まあ、いい。もうちょっと引用しようか。

後継者たちは、この弱点に付け込み、ガンディーさんの名前を政治的に利用するだけ利用しました。

はい。どっかの国の天皇家支持者のようで。もうちょっと、いきますか。

今では、ガンディー主義者とは、ガンディーが奨励した「カディ」を着て、ガンディーの像を拝み、その裏で汚職で私腹を肥やす悪徳政治家の代名詞になっております。

ここまでなら、まあ笑い話なんだけれども、「汚職はインドの隅々まではびこり」、「絶望的にインドの体質とな」っていて、「少しは批判精神のある教育を受けた一般市民や大学生でも、ガンディーさんについてはもう完全に白け切ってい」るとなると、これはもう大変な問題だ。そしてそうした層は、政治に関する興味を失い、選挙投票率も極めて低いという。是正するのが難しいほどの構造上の問題にまでなってしまっているわけだ。

悪徳政治家たち政治ショー(ガンディーやネルーの大きな写真の前でひざまずく)に騙されるのは、「政治家にとって真に有り難い票田である農村の無知文盲のおじちゃん、おばちゃん達」だとのこと。

どこも同じだね。とか言わないけれどね。

ただ、これも笑い話ですまない。もうちょっと引用しようか。

都市のスラム住人は、農村に比べて、色々な価値観に接する機会が多いという事から、意識がひらけており、その中でも、住民運動の気運などのあるスラム住人の前では、ガンディーの話はタブーです。
ガンディーの名の下に、いかに搾取が行われてきたかを知り、そしてその搾取された当事者である彼らにとって、ガンディーとは敵であり、ガンディーが評価されることは、身を切られるような屈辱であるのです。そして、彼らは、インドの人口の大部分を占める被抑圧者階級の代表であるのです。



■抑圧政治の思う壺

まあいつも書いてることだけれど、ちょっと前の俺のような勝手な思い込みは、抑圧政治に手を貸してしまってることになる。

ガンディー素晴らしいってことを言ってるってことは、インドの本当の状況を想像するうえでの枷になっていたということは疑い得ない。反省。

伊勢崎氏の挙げる例。

インドはネルー首相時代から、平和外交の旗手として振る舞っており、例えばつい最近も南アの黒人差別政策に反対するため、英国下のコモン・ウェルスのリーダーとして、サッチャー首相に働きかけるということをラジブ・ガンディーが行ない、人間性、世界モラルをリードするインドを見せつけましたが、インドの「もう一つの顔」である、貧しい下層の人々にとって、大変白々しく受け止められております。僕もスラムの中に居てそう感じました。インドの農村部では、アパルトヘイト以上の抑圧、虐待が続いているというのに。

伊勢崎氏は、その上で、われわれにこう訊ねる。

この国際舞台での虚偽に、我々の一方的なインド観は一役買ってないでしょうか。それは、抑圧政治の思う壺ではないでしょうか。

汗ダラダラ・・・。


■ガンディは悪者か

ガンディのイメージによるそうした一方的インド観という「偏見」を防ぐ意味でも、アンベドカル博士が紹介されることは結構だと、伊勢崎氏は述べるのであるが、「しかし」と彼は言う。

こうした差別をセンセーショナルに描く差別問題研究者がいるからだ。

伊勢崎氏は、名指ししている。

その中で、一番不快に思ったのは、山際素男著『不可触民』、『不可触民への道』です。

伊勢崎氏は、書いてあることは疑う余地がないと認めつつも(被抑圧者層〔ダリット〕や支援者のソーシャル・ワーカーが、生きたまま焼き殺されたり、手足・首をバラバラにされて殺されるなどを伊勢崎氏は実際に目にしている)、しかしその一方的なガンディ批判の調子を批判する。

彼の著作では、インドにはガンディー主義者たるヒンドゥーの抑圧者と、ダリットたる被抑圧者の二元論があたかも成立するような印象を受けます。ダリット達が、その「抑圧者」に対して戦っていると。

この先の考察は、大変優れている。洞察に満ちている。

というわけで、今日はここまで。(引用だらけになったなぁ)





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Last updated  2006.02.21 06:09:27
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