神さまの殺し方を知っていますか?
ワケが判らないタイトルに 思わず、引かないで欲しいんだが。 当然に、あたしは 神さまの弱点も、性感帯も知らないし どこで、しろしめておられるか?すら、全く判らない。 で アニメや、ニーチェさんの、お話がしたいワケでもない。 ただ 自覚の有る無しに関わらず ごくごく、ふつうに、あたしたちが信仰している。 そういう神さまを どうすれば殺せるか? それを 一遍、邪推してみたい。 五木寛之さんの『風の王国』って小説だったと思うのだけど。 「二上講」って、山の民の血を継ぐ集団が 太古に失われた、彼らの神の名を追い求める伏線がある。 ご存知かと思うが 敗れた国津神系・大国主命(オオナムチ)一派が 天津神系・天照大神(アマテラスオオミカミ)一派に、原始日本の統治権を譲る。 それが、記紀の国譲り神話で 勝者の神々と共に、敗れた神の名も記されている。 神々の大戦で 負けちゃったからって、信者が激減したかも知れんけど。 それでも 出雲信仰や、諏訪信仰は、いまだ、残っているワケで。 たとえ、負けちゃったとして 神の名が残っている限り、ヒトビトの信仰は途絶えたりしない。 反対に言えば 神の名を根絶して、何も伝えなくすれば、いつしか、信仰が止む。 だから 自分たちの集団が、かつて、信仰した神の名を探し求め、見つけ出して 再び、集団の信仰を、矜持を取り戻したい。 それが 『風の王国』のミソって、わけ。 魑魅魍魎って言葉があるじゃない? なんだか 暗闇に跳梁跋扈する得体の知れない化物って、イメージがあるけれど。 それは、魍魎の方の意味で 魑魅の「ち」と「み」は、かつての、神さまの意とする説もある。 いつしか 皆に、その名を忘れられて、信仰が廃れて それで、ふわりふわりと、得体の知れないモノに仲間入りした。 そういう 神さまの「成れの果て」と言いますか、残滓(ざんし)と言いますか。 つまりは それが、神さまを殺すってこと? いやいや そう、早合点せず、もう少し、お付き合いくださいな。 戸隠神社に祀られている神さまに 天鈿女命(あめのうずめのみこと)と、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)って 神さまがいる。 ともに アマテラスさんの「天岩戸ひきこもり事件」に由来する神さまなんだ、が。 永遠に続くと思しき暗闇の中 緊急呼び出しを喰らった、八百万の神々の面前で アメノウズメさんは、乳を、女陰を晒して踊り狂った。 すると、閉じた大岩を、すこおし開けて 『なにやってんのよ。ウルサイわねっ!』って顔を出した、不機嫌丸出しのアマテラスさん。 そこで、大岩を抉じ開けて 彼女を引っ張り出したのが、怪力だけが自慢のタジカラオさん、とか。 記紀のパクツイ?は、ここまでとして。 まあ 神さまだって、八百万(やおよろず)柱もいらっしゃれば ストリッパーさんの元祖やら 筋骨隆々、ガチ・ホモ系アニキ・キャラやら、居て、何の不思議もなく。 記紀の記述だけを見れば 熟れた身体を持て余していた元明帝への、せんずり本…失礼、「マテリアル」かと 思わなくもないんだが。 ただ どうして、そういう、フシダラ?な神さまが、古刹戸隠に祀られている? たぶん アマテラスさん以前の古代日本で 最高に気高い女神は、アメノウズメさんだったのだと思う。 そんな 彼女に寄り添う、最高位の男神が、タジカラオさんで そうして、古代日本・国津神系の神話体系が完結していた。 そこに 征服王朝・天津神系が侵略して来て 原日本人に、アマテラスさんを頂点とする新たな神話体系を押し付けた。 そこで 有力な神々は、名を失ったかも知れない。 そうして 段々に信仰が廃れて、「ち」と「み」に変じた神がいたかも知れない。 けれど どれほど、弾圧して、神の名を禁じても 島原の乱とか、キリスト教弾圧を思い起こせば、一目瞭然。 弾圧で、一気に廃る信仰なんか、ない。 ならば 貴方だったら、どうする? そう 新たな神話体系じゃ、とってもフシダラで、滑稽な神さまにしちゃえばいい。 どれほど、熱心に信仰していたって 乳や女陰を晒して踊り、神々から嘲(あざけ)られた、ストリッパーの元祖やら ただ怪力しか能がない、筋骨隆々なガチ・ホモ系アニキ・キャラやら そういう神さまを 貴方は、貴方の子孫は、ずっと、信仰していられる? あたしは これが、神さまを殺す、唯一無二の方法だと思っている。 前回のブログで あたしは、キ○ガイって言葉を連発した。 なにも ここに至って、あたしの気が変じたワケじゃない。 というか あたしの気がヘンなのは、今に始まったコトではない。 ただ 何と言えばいいのでしょう。 最近の日本って国は、小賢しいヒトばかりが増えちゃって ますます、バカにバカって言えない社会になったと、言いますか。 それで バカが、バカって自覚すらなくなって 彼らの暴走する自我を、ダレも止められなくなったと、言いますか。 執拗に前述した 「神さまを殺す方法」ではないけれど 蔑視、蔑称こそが、ダレの手にも負えなくなったヤカラを止める、唯一の方法かと。 アイドルと握手したいがタメに 何百枚、何千枚もCDを購入して恥じ入るコトもない。 そういう連中に 資源のムダ使いって観点から、キ○ガイと罵って 彼ら自身に、自ら、キ○ガイだって気付いてもらう。 周囲の、ウンザリした視線で、態度で 彼ら自身のワケが判らん言い訳やら、自尊心やら、木っ端微塵に打ち砕いちゃう。 そうでないと 彼らは、きまって、己が愚行を改めようとしない。 あたしは あたしの考え方だけが、正しいなんて、微塵も思っちゃいない。 いろんな価値判断が在って、いろんな蔑視が在って、いい。 なんだかんだで、机上の空論で 他人を蔑視するのは、ヒトとして、どうなの?って小賢しい見方。 そうして 今みたいな愚昧で、笑止千万な社会が出来上がっちゃったワケで。 そういう 「おためごかし」は、いい加減、勘弁して欲しい、ってだけ。 自分の気に入らないヒトを、キ○ガイと蔑視する社会。 それは 当然に、あたしたち自身、気に入らないヒトから、キ○ガイと痛罵される社会。 ただ 蔑視するなら、少なくとも、そうした理由を公言する。 そうして。 陰でコソコソの、一方向な、でなく 様々な、蔑視のベクトルが折重なった複次的視点が求められる社会。 そこで初めて あたしたちは、自我の暴走を訝(いぶか)しんで、自制を覚えるんじゃ、ない? まあ そういう考え方にしたって ニーチェさんの「超人の交わり」から影響を受けているワケで。 アニメやニーチェさんを語りたくないって、最初に書いたけど それは、それ、勘弁してください。 神さまを殺さなくたって、既に、神さまは死んでいた? そういう 神の尊厳すら失われた社会なのに いまさら、人間ごときの尊厳が、どうのこうのって議論ばかり。 それって チャンチャラおかしいと、思いませんか?