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テーマ:気になったニュース(30405)
カテゴリ:音楽
ガンで闘病中だった忌野清志郎さんの訃報を今朝の新聞で知りました。
私が初めてRCサクセションを聴いたのは1970年頃、高校生の時でした。 その頃何とも人を食ったような「初期のRCサクセション」というバンド名でやっていました。 今思えば、清志郎さんの頭の中には、次のステップのイメージがあったのでしょうね。 当時は清志郎さん20歳。幼馴染と一緒に3人のアコースティックバンドでやっていました。 アコギとウッドベースというスタイルで、激しいロックンロールを繰り出していて、初めて聴いた時は衝撃でした。 バンド名のネーミングは、ある日突然思い立ってバンドを結成したので、「ある日作成しよう」をもじってRCサクセションと名付けたとか、ホントか冗談か分からないようなことがささやかれていました。 当時はアコギと言えばフォークソングで、ロックはエレキギターと相場が決まってました。 70年代初め頃にあちこちで開催されてた「フォーク&ロックのコンサート」で初めて見たRCは、そういう音楽の垣根をぶち壊すような、強烈なインパクトがありました。 おまけにルックスも可愛いので、女性ファンがたくさん付いて(笑)、ライブ会場ではキャーキャーと大人気でした。 当時はマイナーな世界で活動していたので、初期のRCを知る人は少ないかもしれませんが、私の印象では清志郎さんはこの当時からまったく変わっていません。 言う事もやる事も、ずっと一貫してて、筋が通っているんですね。 しばらくして初期のRCは、バンドの仲間の就職などで解散して、清志郎さんは表舞台から姿を消しました。 私も同じ頃、専門学校をやめて、人生の流浪の旅が始まりました(笑) 家を飛び出して、福生の米軍ハウスの共同生活を経て、東京の国立という街のぶどう園アパートに住み始めました。 噂によれば、この同じアパートに清志郎さんが住んでいたらしいです。アパート住人から聞いた話なので、私は実際には会っていませんが、同じ住人仲間は清志郎さんを見かけたと言ってました。 時期としては1977年~79年くらいです。 ※ぶどう園アパートとは、国立市のど真ん中にある広大な敷地のブドウ畑の中に、地主が建てた学生向けアパートです。4畳半の部屋がある小さな建物が何十棟も建ち並んでいて、学生や得体の知れないアーティスト達が住んでいた、さしずめ東京郊外のグリニッジビレッジのような場所でした。。。今はもう、アパートは無く、広大な土地で大家さんは今も野菜を育てて暮らしています。 国立市は、清志郎さんの実家のある日野市の近くです。 同じアパートの友人が、清志郎さんの高校の後輩だったそうです。 当時の清志郎さんは有名な悪ガキで、同級生の三浦友和とつるんで、近所でいろんな悪さをしていたそうです(笑) その頃の三浦友和は、百恵さんとの共演映画で有名になっていたので、清志郎さんと悪ガキ仲間だったと知ってびっくりしました。だって、そういうイメージじゃなかったですから・・・。すごく真面目なお坊ちゃんのイメージですよね。 1980年に新生RCサクセションで大ブレークした時は、またまたびっくりしましたが、そのバンドに元古井戸のチャボが居たのにまあ納得しました。 清志郎さんは、70年初め頃からよくチャボさんのアパートに転がり込んでいたらしいです。当時は貧乏だったみたいです(笑) 何だかいろいろ思い出してしまいましたが、私にとっては70年代の清志郎さんのほうが懐かしいです。 おかっぱ頭で可愛い顔してて、わんぱく坊主がそのまま大きくなったような感じでした。 80年代以降の清志郎さんは、ホントのスーパースターですよね。 最後まで全速力でこの世界を駆け抜けた忌野清志郎さん、きっとあの世でも暴れまくることでしょう。 そして、天国から追い返されて、またこの世に戻ってきたりして・・・?(「帰ってきたよっぱらい」か?・笑) ご冥福をお祈りします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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古谷和秀ってホリプロにいたフォークソング。ぶどう園辺りの一角のアパートにいて、清志郎君がよく遊びにきていて、ずうっとギターをひいたり長くはなしをしていた。みかんちゃんとも数回一緒にいた。懐かしくて懐かしくて、必ず一度またあの辺りに行きたい。因みに、古谷くんも、清志郎君も他界してしまっていることが悔やまれてなりません。
(2014.01.01 12:06:14)
古谷和秀ってホリプロにいたフォークソング。ぶどう園辺りの一角のアパートにいて、清志郎君がよく遊びにきていて、ずうっとギターをひいたり長くはなしをしていた。みかんちゃんとも数回一緒にいた。懐かしくて懐かしくて、必ず一度またあの辺りに行きたい。因みに、古谷くんも、清志郎君も他界してしまっていることが悔やまれてなりません。
(2014.01.01 12:06:58)
古谷和秀ってホリプロにいたフォークソング。ぶどう園辺りの一角のアパートにいて、清志郎君がよく遊びにきていて、ずうっとギターをひいたり長くはなしをしていた。みかんちゃんとも数回一緒にいた。懐かしくて懐かしくて、必ず一度またあの辺りに行きたい。因みに、古谷くんも、清志郎君も他界してしまっていることが悔やまれてなりません。
(2014.01.01 12:11:07)
ハミングバードさん
昔に書いた古い日記にコメントをいただき、ありがとうございました。 本当に、今はもう、亡き人たちになってしまいました・・・。 昨年末には、大滝詠一さんも亡くなり、日本の音楽の一時代も終わったかと寂しく思います。 >古谷和秀ってホリプロにいたフォークソング。ぶどう園辺りの一角のアパートにいて、清志郎君がよく遊びにきていて、ずうっとギターをひいたり長くはなしをしていた。みかんちゃんとも数回一緒にいた。懐かしくて懐かしくて、必ず一度またあの辺りに行きたい。因みに、古谷くんも、清志郎君も他界してしまっていることが悔やまれてなりません。 ----- (2014.01.07 23:53:44) |