国語力の劣化
前から気になっていた言葉遣いがある。 それは、「・・・を与える」という言い方だ。 東日本大震災以降、特にスポーツ選手が「被災地に勇気が与えられるように・・・」と口にすることが多かった。「なでしこ」の佐々木監督もこういう言い方をした場面があった。 受け側の言い方として「勇気を貰った」というものも頻繁に耳にしたが、これとていかがなものか。 私にはどうにも違和感が強かった。 そもそも「勇気」とは他人から貰うものなのか、他人に「与えてもらう」ものなのか、という私の考えはさておいても、これは国語力のあからさまな劣化ではなかろうか。 これを言うならせめて「勇気を感じてもらえるように」くらいにはならないものか。 「与える」という言葉の「上から目線」がどうにも気になる。「与える」とはつまり「施す」という意味だ。 ちなみに最近では森本防衛大臣がオスプレイの配備の件で「住民に不安を与えないように・・・」と使っていたが、この用法は正しい。 なぜならば「与える」には「被らせる」という意味がある。 国語力の劣化は、国力の劣化につながるのでは、という不安を感じている。