Original Logo Mark 1978
1980年の二十歳の時に日本で初めてのインディーズ・レーベルでのロックのLP”MadeInJapan”を作った。スターリンのアルバムとほぼ同時期。インデヴィーズの草分け的アルバムだ。当時は元ファーイースト・ファミリー・バンドのベースの深草アキが結成した観世音と、結成したばかりの駆け出しのアウターリミッツのマネージメントをやっており、いくらメジャーのレコード会社に売り込んでもらちが明かないので、腹立ち紛れの勢いで、このアルバムを自費で作った。でもこの辺のことを思い出そうと思っても、詳しくは覚えていない・・・おそらく勢いだけで作ったのだと思う。まさか、100タイトル近くリリースして、キング・レコードやクラウン・レコード、果ては海外のレコード会社にまでライセンスして発売され、毎年紅白でうちのミュージシャンを見られるご時勢になり、レコーディング・スタジオまで持って、今でも続けることになるとは思いも寄らないから、(この前、スカイ・ステーションが発売してくれた紙ジャケの再発なんて、元は低予算のインディーズだったマスターを25年以上も経って、ビクターのサザンと同じマスタリング・スタジオでサザンのエンジニアがマスタリングしているのだから・・・なんとも不条理な話)レーベル名も”日本製のプログレ”という意味を強調したくて”Made In Japan Records”というなんとも変な名前にしてしまった。ジャケットやレーベル・マークだって(ここに載せたのが原画のエッチングなんだけど)、僕の高校生時代のエッチング(銅版画)からとっただけ。高校時代のスケッチ・ブックを見ていたら、ちょっとは色々とデザインしようと思ったらしく、ラフ・スケッチが数点あった。フュージョンやポップスが好きだったアメリカンな僕が、プログレを生涯の仕事にしようとなど思いもよらなかった。僕の人生はこのアルバムがすべてだったのかもしれない・・・このとき最大の間違いをしたのか、それとも正しかったのか、情けないけれど、今でもふと考えてしまう。悲しいけれど、プログレとはそんなことを考えてしまうほど、ファンが冷たい・・・人生なんて本当に誰にもわからない。