ROSE, Turining Point of My Life 1976 oil painting
こんな言い方をしたら偉そうに思われてしまうけれど、小学校でも、中学校でも高校、そして美術の予備校でも、必ず、課題の絵は学校にとられて、学校の入り口や校長室に飾られ、返してもらったことがない。もちろん美術の成績はずっと楽勝でオール”5”。自分でも天才だと思っていた。(ほら嫌な奴でしょ?)小学校のときから回りの同級生の絵日記のような絵と自分の絵は別物と思っていたし、小学生の時から、自分の意思でセザンヌ、ゴッホ、ポール・デルボー、ダリ、ホドラーなどの展覧会を見に行っていたし、ゴッホやセザンヌの模写もしていたし、必ず毎日、絵やデッサンを描いて過ごしていた。中学校の美術の時間の写生でも、退屈だから実際の風景にはないUFOを描いてみたり、油絵のガラスの窓に本物のかなづちを貼り付けたりもしていた。中学校時代はシュールレアリズムに心酔していたから・・・そんな僕が自分は天才ではなく、ただの器用貧乏だと気が付き、画家にはなれないと薄々気が付いたのが、この絵を描いた時だった。この絵は高校2年生になったばかりの頃に佐伯祐三に影響されてナイフだけで1時間足らずで描いた油絵。この絵を描く前の2ヶ月間はセザンヌや、ダリ、レンブラントなどの画家の絵に影響されて次々画風を変えていた。この絵を描き終わったときにはいつも通り”僕は天才!”って自画自賛していたけれど、すぐに自分の魂がどこにもなく、手先だけで描いている自分に気が付き始めた・・・この絵を堺に僕は自分の絵に2度と自信を持つことは出来なくなり、いつしか筆を置いてしまった・・・このとき自分の才能の無さに気がつたのか、それともこの絵で自信を失ったのか、どちらかは今でも分からない。ずっと見るのも嫌だった1枚の思い出の絵と久々に向き合ってみました。そしたらやっとこの絵を愛せる自分がいる事に気が付きました・・・年のせいで厳しくなくなったのか、悟りの心境なのか、また、新たな自問自答がこの絵のおかげで始まってしまった・・・