親愛なるヴィットリオ
親愛なるヴィットリオ・・・バンコのVITTORIO NOCEZIに初めて会ったのは、僕がイタリアに初めて旅行した1980年のこと。ローマのダヴィンチ空港に着いて荷物を受け取ろうとしたら、いくら待っても僕のスーツ・ケースは出てこなく、まさか必死で覚えた片言のイタリア語で最初にしゃべるのが”僕の荷物がなくなりました・・・”だとは思わなかった!結局、その日は荷物は見つからず、途方にくれ意気消沈のどん底が僕のイタリアの初日であった・・・呆然としてローマ市内に着くと街じゅうにバンコのライブのポスターが張ってあり、半分、自暴自棄になってホテルも見つけないまま、ローマ郊外に設置されたサーカス小屋のようなライブ会場に足を運んだ。レーザー光線の派手なステージ・ライトで登場したNOCEZI兄弟のダブル・キーボードとジャコモさんのボーカルに圧倒され、その日の晩は、おそらく僕の人生の中で最もエキサイティングな夜だった。しかもステージの最前列にかぶりついて見ていた僕に、ヴィットリオは声をかけてくれ、僕が日本から見に来たことを、そして世界で一番好きなバンドだと思っていることを非常に喜んでくれて、また僕がバンコの曲の全パートの楽器のメロディーを口で歌ってあげたら、びっくりして・・・こうして僕らの友情は始まった。それ以来、ヴィットリオは僕に会うといつも僕に口バンコをやらせては、喜んでいる。音楽に国境や言葉の壁はない。もう随分、前になるけれど、バンコを来日させたときに東京から大阪までの新幹線移動の間の3時間あまり、ヴィットリオからソロのデモ・テープを聞かされ、僕は”あなたにしか出来ない音楽はこんなんじゃない!”っって突っぱねたことがある。長年、憧れ続けたバンコのヴィットリオをプロデュース出来るチャンスだったのに。でも、僕にとってはそのときのヴィットリオの音楽より塚本周成や熊谷桂子の音楽のほうが魅力的だったから・・・