クロニクル 原水爆実験の禁止を…
1956(昭和31)年2月9日
64年前のこの日、衆議院は原水爆実験禁止要望決議案を満場一致で可決しました。翌10日には参議院も異議なく可決し、ここに原水爆実験の禁止、そしてその先にある核兵器の廃絶は、唯一の被爆国としての日本の悲願であるとして、世界にアピールすることになりました。
1954(昭和29)年の第5福竜丸事件は、原水爆の被害を体験している日本の国民感情を刺激し、翌55年には杉並区の主婦達の署名運動がきっかけとなって、原水爆禁止運動がスタートを切り、8月6日の広島原爆の日の記念行事として、原水爆禁止世界大会が広島市で開かれました。こうした活動の延長として、この日の国会決議となったのでした。
当時の国会の動きに比べ、今の国会の動きは鈍いですね。米国が初めて原子爆弾の製造に成功したのは1945年の6月ですから、今年はそれから75年目にあたります。日進月歩の科学や技術の進歩からすれば、原爆は勿論水爆の製造技術も、今や陳腐化した技術に過ぎなくなっています。失礼な言い方をお許し願って記すとすると、「北朝鮮」ですら核兵器を作り、もつことが出来るのです。 となると、唯一の被爆国である日本の国会のすべきことは、核兵器全廃への働きかけを、常に世界に向けて発信し続け、国連に対して「核廃絶決議案」を提案し続けることだと、私は考えるのですが、その気配は野党を含めて、まるで感じられませんね。それどころか安倍内閣は、国連決議にすら賛成票を投じないという後ろ向きの姿勢を取っています。これは国民に対する裏切りですね。
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