カテゴリ:日本史
クロニクル 生麦事件
1862(文久2)年8月21日 159年前の出来事です。幕末は益々遠くになりました。 大名行列の「した~にー、した~にー」と言ったところで、日本語のわからない外人にわかるはずがありません。しかし、おそらくは外国人をはじめてみたであろう、薩摩の田舎侍には、そんなことはわからないでしょうから、大殿さまの行列に、下馬して膝を折って見送ることもしないとはけしからんと、激高して切り付けたことも、良くわかります。 こうして、幕末の日本を彩る生麦事件は始まったのです。横浜の開港場に近い生麦村を、江戸を経って帰国の途についた、薩摩藩の島津久光の一行は、生麦村付近で騎乗姿の4人のイギリス一行に出会いました。 彼らが土下座で見送ることをしなかったため、薩摩藩士が彼らに切りつけ、2人が死傷する事件が起きたのです。時刻は、午後2時頃のことでした。この事件に、横浜に滞在した外国人及び外国政府は、野蛮な行為と一斉に反発し、幕府に謝罪と賠償の支払いを求めました。 幕府は英国の要求に屈し、賠償支払いに応じましたが、薩摩藩は応じなかったことから、翌63年には、薩英戦争に発展します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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それは大変な事件でした。
問答無用で切ってしまう、当時の武士としては当然の行為。 そして下馬しなかった英国の人にとっても、それは当然の行為。 異国のマナーを知ろうとしなかった高慢さも、原因の一つかもしれませんね。 (2021.08.22 07:30:45)
日本の政治の構造が、見えるような気もしますねぇ~。
確かに、過去の話で、幕府と政府は、違いますが・・・でも、どこか、基本的な部分は、似たり寄ったりで、政府がすべて責任を持つ姿勢も無くて・・・ ウフフ、159年前と、余り変わっていないのかも・・・とも、思ったりして~。 (2021.08.22 08:18:22)
生麦事件・・のちの薩摩との戦いの火種となりましたね
田舎の家ですから借りる人はいないでしょうね・・・ 売ることもできないでしょう・・・ 父としては自分の実家より立派な家を買えたことが大きな喜びだったはずですが・・ 私達にとっては無用の長物・・ですわ (2021.08.22 09:47:40)
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