カテゴリ:日本の政治と政治史
クロニクル 吉田首相単独講和容認示唆
1949(昭和24)年11月11日 72年前になります。この日、吉田茂首相は、参議院での質疑の中で、 「たとえ単独講和であっても、それが全面講和に導く1つの道であるならば、喜んで応じる用意がある」 と発言、単独講和の容認を示唆しました。 この発言がきっかけとなり、政府は東西冷戦が激しさを増す中、西側陣営との単独講和に、大きく舵を切っていきます。講和=占領状態からの脱却と考えた、国民の多くは早期講和を歓迎しましたが、マスコミや言論人の多くは、「平和憲法の精神を貫くとすれば、全面講和への道をあくまで希求すべきであろう」と、平和問題懇話会を組織して、単独講和反対の論調を次ぎ次ぎに岩波書店の『世界』や改造社の『展望』などの雑誌に寄稿、当時の学生らに大きな影響を与えました。 私は当時小学生でしたが、13才上の長兄から、後にこの時期の学生の雰囲気、論壇の模様などを、良く聞かされたものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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私の行った東照宮は、新城市にある鳳来山東照宮ですよ^^
(2021.11.11 22:21:39)
13歳上の長兄さん・・・うちの旦那も、長兄とは、15歳違うのですよ~。
昔は、そういう家庭も、よくあったのかも、知れませんねぇ~。 「平和憲法の精神を貫くとすれば、全面講和への道をあくまで希求すべき」と・・・昔の人は、誠実(頑固?)な感じもしますが、何でもかんでも、空気感で動くのも、どうかと思うし~。 (2021.11.12 06:47:58)
吉田首相の決断はその当時では最良だったのでしょうね
アメリカに占領されていた時代ですから・・・ 余談ですがシュンちゃんと長男のユウ君は12才差です 今はかわいいとお守りをしてくれていますが・・ 娘は「勉強も見てくれないかしら・・」なんていってますわ (2021.11.12 21:06:19) |
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