カテゴリ:日本と世界の文化
クロニクル ドストエフスキーに特赦
1849(嘉永2)年12月22日 空想的社会主義者のサークルに所属していたとして、172年前のこの日に結審した裁判で、ドストエフスキーは死刑判決を受けました。ところが判決が出ると同時に、直ちに皇帝ニコライ1世が介入して、彼に罪を減じる特赦が与えられました。ただし、それは無罪放免ととするのではなく、シベリアはオムスクにある施設へ護送する流刑への減刑だったのです。 こうしてドヅトエフスキーは1854年まで、4年半以上をシベリアに暮らし、54年の解放後もシベリアで軍務に就き、ようやく58年になってペテルブルグに戻りました。シベリアでの流刑体験から、『死の家の記録」 が生まれ、また死刑を宣告された際の恐怖の感情は、『白痴』に表現されています。 タイミングが合いすぎていますから、彼への死刑判決と特赦は、皇帝の人気を高めるための意図的な作為で、本気で彼を死刑に処すつもりは、最初からなかったと考えられています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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皇帝の思惑で怖い思いしたなんて、なんか理不尽(´・ω・`;)
(2021.12.22 21:06:06)
罪と罰の有名な小説家くらいの知識しかありません。
小説家でありながらも色々翻弄された人生だったのですね。 (2021.12.22 21:41:15)
皇帝の人気取り政策だったのかしら。
たまりませんね、そんなことに利用される方は・・・。 高校生の頃、「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」を読みました。 若かったから読めたのかも。 今はもう、ロシア人独特の名前を覚えられません。 (2021.12.23 04:55:14)
こんばんは!
【彼への死刑判決と特赦は、皇帝の人気を高めるための意図的な作為で、本気で彼を死刑に処すつもりは、最初からなかったと考えられています。】 今も変わらぬ専制者たちの手法ですね。 (2021.12.23 18:30:53)
罪と罰くらいしか知りませんでした。
(2021.12.23 22:00:32)
空想的社会主義に入っただけで死刑とは酷いです。結局
革命が起きてしまうのですが。 重苦しいそうなので読んだことはありません。 トルストイやチェーホフは読んだ記憶がありますが・・・ (2021.12.24 09:27:29)
この頃は日本はまだ江戸時代。
もうすでに幕末の大変な時期に突入していたことでしょう。 それはそうと先日、3人もいっぺんに死刑にされましたね。 改めてこちらのBlogにcommentくださり、ありがとうございました。 もうお気づきかと思いますが、画像が俗に言う「裏返し」になっておりますね。 下記のHPアドレスをclickしてみてください。 https://plaza.rakuten.co.jp/sanamo0829tokiwa/diary/201207180000/comment/write/#comment 文中にもある通り、私がsouthpawのせいだからです。 携帯写メするのも、画像送信するのも どうやら右利き専用に作られているそうで。 「頭のいい人はもうとっくに勘付いていただろうなあ。」 何はともあれうちの父親も、無事80歳。 長寿を迎えることできました。 「人生100歳の時代に、80歳だなんて まだまだ長生きのうち入らない。」 3年前にthemeにした「喜寿」の時と同じような言い方をしておりますが 自身の両親(私の祖父母)だけでなく、弟(私の叔父)までもが 古稀まで生きられなかったので そのありがたみだけでも、わかってもらいたいものです。 今回のThemeにも早々のcommentくださり、ありがとうございます。 そっちのほうも感想書いて、再度送信しまぁす。 (2021.12.24 15:00:49)
こちらでclickしてみてください。 https://plaza.rakuten.co.jp/sanamo0829tokiwa/diary/201207180000/comment/write/#comment (2021.12.24 15:09:09)
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